カレンダーの日付は６月２１日。

　結局、二人の間に漂う重苦しい雰囲気が晴れることなく、明日香の誕生日を迎えてしまった。明日香の誕生日が萬屋の活動の日でもあるので、えみるはいつもより少し早めに煙草屋について、ここ一ヶ月のことを煙草屋の主人に話していた。

「そりゃぁ悪いことしちゃったねぇ…。明日香ちゃんがロムレットでバイトしていたがってなんて知らなかったから。でも、それで仲直りできると良いね。」
「うん。」
「じゃぁ、僕、ちょっと…そう１０分くらいだけど用事足してきて良いかい？」
「わかったりゅん。」

　煙草屋の主人を見送り、えみるは明日香が来るのを待っていた。

　そしていつもの待ち合わせの時間になり、明日香がやってくる。だが、明日香の表情は相変わらず不機嫌そうである。えみるは先に誕生日プレゼントを渡して、今までのことを謝ってから萬屋活動に入ろうと考えた。

「明日香ちゃん、今日、誕生日だよね…」
「そうだよ、それが何か？」
　いつもと違い、すこし控えめに話すえみるに対して明日香の返事は相も変わらず分愛想だ。明日香はえみるの様子がいつもと違うのに気づいてはいたが、あえて黙ってた。

「あ…あのね、これ誕生日プレゼ…」

　えみるが鞄からプレゼントの時計を取り出そうとしたのだが、明日香の右腕に付けられている時計が目に留まるとえみるの動きが固まった。なぜなら、明日香の右腕には既にオレンジハウスの時計が付いていたからである。

「あ…明日香ちゃん、その時計は？」
「ん？これ？アタシが「バイトして」貯金して昨日買ったの。再販品なんだけどね。どう？似合うでしょ？」

　明日香は、えみるへの当てつけとして「バイトして」と言うところを強調して時計を見せつける。

「そ…そうなんだ…、じゃぁ、えみりゅんのプレゼント…、もう…意味が無く…ひっく…ひっく…。うわぁ〜ん…」

　えみるは、明日香との仲直りのきっかけを失ったショックと、今まで耐えに耐えてきた色々な想いがあふれだすのに耐えられなくなり、その場から駆け出してしまった。

「な…なんなの？……一体。あ〜ぁ、鞄落としたから中身が散らばっちゃって…うん？これは…」

　えみるの鞄の中身を拾っていると、綺麗に包装され、リボンに「For ASUKA」と書かれている物を見つけた。

「それは、えみるちゃんの明日香ちゃんへの誕生日プレゼントだよ。」
「アタシへの？」

　用事から戻った煙草屋の主人が明日香に声を掛ける。

「そう、二人が喧嘩している理由は、僕が原因だからね…。ちょっと用事で離れてて戻ってみると、えみるちゃんが走り出すのが見えてさ。ともかく、そのプレゼントを開けてみてよ。」

　明日香は言われるまま包装をといて行く。

「これ、オレンジハウスの時計…」
「それだけじゃないんだよ。ケースから出してみて。」
「あっ！このバンド…」

　明日香はケースから時計を出した瞬間、自分の付けている時計のバンドと材質が違うのに気づく。

「まだ、あるんだよ。シリアルナンバーを見てみて…」
「シリアルナンバー？」

　明日香は初販品の証であるシリアルナンバーの刻まれている裏面を見る。

「６２１………、あぁっ！これ…ひょっとして…」
「そう、明日香ちゃんの誕生日と同じシリアルナンバーなんだよ。」
「初販品って、プレミアものじゃん…。一体、どうやってこんな高価な物を…。ひょっとしてえみるがロムレットでバイトしていたのは…」
「その通り。えみるちゃん、明日香ちゃんの誕生日プレゼントに高価な物を欲しがっていたんだけど、貯金はないし、アルバイトをしようにもそのアルバイトが校則に引っかかるかも知れないと言うことで、理由に融通の利くロムレットでのバイトを勧めたのは僕なんだ。
　さっきえみるちゃんから聞いたんだけど、まさか、明日香ちゃんがロムレットのバイトを狙っていたとは知らなかったんだ。僕の言葉で君達二人には迷惑かけた。ゴメン、僕に怒るのは一向に構わないから、えみるちゃんの事を許して上げてくれないかい？」
「………」
「実はね…その時計を手に入れるには、もう一苦労があったんだよ。」
「それって？」
「それはね…」

　それは一週間前、えみるがロムレットでのバイトを終え、バイト代三万円を受け取り、家路に向かう途中のこと…

（そういえば、明日から一週間パパとママが出かけて居ないンだっけ…。一応、ご飯代に二万円貰ったし、冷蔵庫の中にはたいした物がはずだから、帰ったら買い物に行かなきゃ…）

「永倉さ〜ん」

　そんなことを考えながら歩いてると、えみるの名を呼びながら乃絵美が走ってくる。

「あれ？乃絵美ちゃん、どうしたの？」
「今ね、常連さんから聞いたんだけど、ＭＹＣＯＬ三島の三階の奥にあるアンティークショップにオレンジハウスの時計の初販品を見かけたんだって。」
「えっ？それホント？」
「うん、ただそれが２，３日前の話だから今もあるかは保証できないんだけど…」
「わかった、ありがと」

　乃絵美からの情報を聞くと、えみるは翌日ＭＹＣＯＬ三島に向かった。
　ＭＹＣＯＬ三島に到着しフロアの案内図を見ると、件の店はフロアの一番端にあった。人混みをかき分け、店に到着すると、確かに初販品の時計がある。売場に駆け寄ると、「藤沢　優」とネームプレートをつけた店員と思われるショートヘアの女の子が声をかけてきた。

「いらっしゃいませ。オレンジハウスの時計をお求めですか？」
「ええ、友人へのプレゼントなんですけど…。あれ？５万円？確か３万円じゃ無いんですか？」
「ええ、確かにオレンジハウスで売られていた時は、定価の３万円なんですけどシリアルナンバーの付いている初販品と言うことで、多少プレミアが付いちゃったんですよねぇ。」
「シリアルナンバー？」
「初販品には、一つ一つにシリアルナンバーが刻まれているんです。」
「へぇ…」

　えみるは、それぞれの時計を見てみる。「２１６」「５１４」「６２１」の三つの時計があった。

「６２１。これ…友達の誕生日と同じ番号。」
「えっ！それは凄い偶然ですね。」
「でも、再販品を買うつもりだったから、２万円足りないりゅん…」
「う〜ん、困ったなぁ…値引きしてあげたいのは山々なんだけど…」

（一体どうしたら…。明日香ちゃんへのプレゼントとしては最適な時計なのに…これだと仲直りもできるかもしれないから、このままみすみす見逃すのも悔しいなぁ…。あっ…でも…）

　しばしのあいだ、唇を噛みしめながら考え込むえみるだが、あることを思い付いた。しばしの間悩んでいたえみるであるが、決心を付け、店員に話しかける。

「今から家に行ってお金を持ってきます。それじゃ。」

　えみるはすべて言い終わらないうちに、売場を離れ、ＭＹＣＯＬ三島を後にして自宅に向かって走り出し、自宅に着くなりテーブルの上に置いてあった一週間の生活費の入った封筒を握りしめ、再びＭＹＣＯＬ三島へと向かった。

　そして、再びＭＹＣＯＬ三島のアンティークショップにたどり着き店員に声をかける。

「はぁ、はぁ、すみませーん」
「ハイハイ。あぁ、さっきのお客様。お金を持っていらしたんですね？」
「ええ、６２１の時計下さい。」
「かしこまりました…」

　と、優が時計をショーケースから出そうとすると、先ほどまで３つあった時計が２つしかない。

「あれ？時計が一個ない…」
「えっ？」
「舞？ここにあったオレンジハウスの時計売った？」
「え〜？優ちゃん呼んだ？」

　店の奥から、ロングヘアで眼鏡をかけてはいるが、優とそっくりの顔の「藤沢舞」のネームプレートを付けたもう店員がやって来る。その間に時計のシリアルナンバーを確認する優だが、二つ目の時計を見終えた後、表情を曇らせた。

「うん、呼んだ。舞さ、ひょっとして、ここにあったオレンジハウスの時計を売った？」
「ええ、さっき優ちゃんが休憩していたとき、老夫婦が見えて、お孫さんへのお土産へってことで。」
「この時計をお求めのお客が来たら、アタシに声をかけてって言ったでしょ？」
「あっ！優ちゃん、ゴメンなさい」
「ったく…。よりによって、アレが売られてしまうとは…。それ、いつのこと？」
「う〜ん、２０分くらい前…かな？」
「じゃぁ、探すのは無理か…」

　しばらく二人の店員のやりとりを見ていたえみるは、ある不安が胸をよぎる。

「あ…あの、まさか…」
「ごめんなさい、舞のヤツ、アタシのいない間にオレンジハウスの時計を売ってしまった様なんです。よりによって６２１のを…。」

「そ…そんなぁ…。ひっく…ひっく…」

　いくらバイトが見つかりにくいとはいえ、そして明日香のプレゼント為とはいえ、明日香をさしおいて自分がしてしまったロムレットのアルバイト。これに対する明日香への済まない想い、今までの明日香の冷たい態度に今まで耐えられたのは、すべてこの時計で仲直りをするため。
　これだけがえみるの頼みの綱であったのに、肝心要の物が切れてしまったことによるショックで、えみるはその場に座り込んで泣き出してしまった。

「ちょ…ちょっと、どうしたん…」
「あのね…こちらのお客様、先ほどこられて偶然にもプレゼントする人の誕生日と同じシリアルナンバーを見つけたんだけど、お金が足りなかったんだよね。で、お金を取りに一旦戻られたのよ。
　ここって取り置きが禁止だからさ、それが売れないよう、この時計をお求めのお客が来たらアタシが対応しようと思ったのに…」
「あっ…。申し訳…あー！優ちゃん、あれ。あのお客様が、買われたの！」

　舞の言葉で優は辺りを見回す。

「えっ？どれどれ？………舞、どっちかの時計をラッピングして。早く！」
「えっ？どうするの？…まさか…」
「んなの決まっているじゃないの。どうにかして交換して貰うのさ！」
「わかった、ハイ。」

　優は交換用の品物を受け取ると、フロアを歩いている老夫婦に向かって走り出した。

「すみませ〜ん、先ほど時計を買われたお客様〜」
「はい？」
「いやぁ、申し訳ありません、先ほど買われた時計ですが、あの時計、実はディスプレイ用の品で非売品なんです。対応に当たりました店員は、それを知らずに売ってしまったのです。大変申し訳ありませんが、こちらの販売用の初販品のにお取り替え願いたいのですが。」
「あらあらまぁまぁ、そうなのですか？」
「ハイ、大変申し訳ありません。」
「それじゃ、ハイ。色々あって大変ねぇ…」
「ええ、結構大変なんですよ…これが。有り難うございました。」

　老夫婦に一礼をすると、売場に戻る優。
　店に戻った瞬間、大きなため息を付く。

「ふぅぃ〜、何とかなったぁ…、舞？今回は何とかなったから良いけど、次から気を付けてよね？」
「ごめんなさぁい。」

　そして優は、泣いているえみるの前に交換してきた時計を差し出す。

「ハイ、お待たせしました。お客様のお求めの６２１の時計です。」
「えっ？あっ…あぁ…。ありがとう…これで明日香ちゃんと仲直りが出来るかも…」
「ありゃ、プレゼントの相手とケンカされているんですか？」
「えぇ…ちょっと…。ハイ、代金です。」
「有り難う御座います。仲直りできると良いですね。」
「うん、それでは。本当に有り難う御座いました。」
「いえいえ、こちらこそご迷惑をおかけしました。またのお越しをお持ちしております。」

　えみるは優達に一礼をすると、売場を後にした。

（さーて、これから一週間どうしようかなぁ…）

「と言う事情なのさ…。えみるちゃん、初日はどうにかなったけど、その後は何も食べていないって言ってたよ…。僕もそれをさっき聞いたばかりだし…。明日香ちゃん、この通り！えみるちゃんの事に関してはすべて水に流してくれないかい？そのかわり、今回の喧嘩の原因となった僕のことに関しては、どう攻めようが構わないから。」
「なんか落ち込んでる風とは別な元気のなさだとは思ってたけど、あのバカ…。……いや、つまんないことでえみるに八つ当たりしたアタシがバカなのか…」

　全ての事情を知った明日香は、うつむきながら一言呟くと、えみるを探すべく走り出した…が、すぐ立ち止まり、時計をえみるからのプレゼントの時計に付け替えると、雑踏の中へと姿を消した。
　ショッピングモール、ロムレット、黄昏刻、長寿庵、ジェラシックパーラー、思いつくところを片っ端から探すが、一向にえみるを見つけることができない。

「一体どこへ行っちゃったのよぉ…。考えてみれば、お金がないのに食べ物屋を探す方が間違っているのか。あっ…まさか…十徳神社かな？」

　明日香は、以前えみるが不思議な体験をしたときに、ボロボロになったお守りを供養した事を思い出し、その神社へと向かった。

「はぁ…はぁ…、やっぱ３００段はきついわ…」

　３００段の階段を上り件の神社にたどり着き、息を切らしながら辺りを見回すが、誰の姿も見あたらない。

「あら？誰かお探し？」

　声のする方へ振り向くと、明日香と同じ年齢と思われる巫女が立っていた。

「髪をお下げにした、萌黄女子の制服を着た子…来ませんでしたか？」
「ううん…来なかったけど？」
「ありがとうございます！」

　明日香は、挨拶もそこそこに階段をダッシュで駆け下りる。

（えみる…一体どこにいるの…。まさか…、ううん…）

　交差点での信号待ちの時に明日香の脳裏によからぬ事が浮かぶが、首を横に振ってそれを振り払う。

「すみませ〜ん、シャッター押してもらえますか？」
「ハイハイ、いいですよ……。………カメラ」

　カップルに声をかけられカメラを受け取った明日香は、ふと考え込む。

「そうか……わかった！あそこだ！済みません、ちょっと急用なので失礼します。ごめんなさい。」

　明日香は、カップルの写真を撮らずにカメラを返すと同時に再び走り出した。

【第37話終わり】