フンフンフフ〜ン、フフフフンフフ…。え？やけに機嫌が良いって？そりゃぁ、明後日きゃろっとで雅之君に会えるんだモン。嬉しいに決まってるじゃないの。
　あれからお見舞いに通っている内に雅之君も元気になり、毎週日曜日位の外出くらいならば許可できそう…って、織倉先生が言ってくれたんだ。それを聞いた私達の目は、もうキラキラ状態で訴えまくり。

「ハイ、明後日の外出認めます。ただし良くなったばかりだから無理は禁物ですからね。」

　の言葉の元、私達はバンザイ三唱で喜んだ。

　もちろんカレーだってバッチリ作れるようになった。ただ、作れるようになるまで結構みんなの力を借りたけど。小麦粉とカレー粉を炒めてルーを作り、お肉と野菜をナベで炒めて、そこに野菜や鳥ガラを煮込んで作ったスープ（ブイヨン）をいれて煮込む…結構本格的でしょ？

　料理長に試食してもらったら、ブイサインの評価。よし！後は雅之君に食べてもらうだけとなった。

　織倉先生の許可をもらうと きゃろっと に電話を入れ、料理長に厨房の使用の許可を頼んだ。料理長は素直にＯＫをくれた。もちろん、このことはみんなに内緒だけど。
　そして病院からきゃろっとに向かい、そっと中にはいる。厨房に向かうと置き手紙と共に材料がおいてあった。

「明日香ちゃん、頑張って。ｂｙ　ぷりちーな料理長」

　料理長…。そしてブイヨンが完成し、雅之君が来てくれる日曜日当日…

「明日香、機嫌が良いわね。どしたの？あ〜わかった！今日彼が来る日なんだ！」
「にゃはははは…わかる？」
「そんな顔してわからない分けないでしょ？」

　雅之君早く来ないかなぁ…

ｔｒｒｒｒｒ、ｔｒｒｒｒｒ、

　お、電話だ。

「ハイ、毎度ありがとう御座います。ぴあきゃろっとです。」
「星野さん？…織倉です。彼、急に…大きいのが来たの。いま…抜けられる？」

　電話は、雅之君の入院している秋月病院の先生、織倉先生だった。私は、ショックのあまり織倉先生の言葉を最後まで聞く事が出来なかった。

「星野さん？星野さん？」
「雪子さん、これ３番にお願い！」
「あっ！星野さん！？」

　私はいても立ってもいられなくなり、従業員出入り口に向かって走り出す。
　途中マネージャーに呼び止められたが、気がつけばマネージャーの制止を振り切っていた。

　制服姿にもかかわらず、私は秋月病院に向けて自転車を飛ばした。イヤだ…またしても好きな人との約束を果たせないなんて…。折角…折角…

　病院につくと、２Ｆの小児病棟にむけて一目散に走った。ロビー横の階段を駆け上がり、右に曲がり、角から三部屋目。そこが雅之君の病棟。
　ドアを開けると、信じられない…いや、信じたくない光景だった。雅之君の姿は点滴だらけで、酸素吸入。呼吸も荒い。横を見れば、心電図計の波は今にもフラットになりそうだった。

　部屋にはいると、織倉先生が側に来るよう手招きした。

「今朝はなんともなく外出できる状態だったんだけど、さっき急に…」

　私は雅之君の側へ行き手を握って話しかけた。一応雅之君も握り返してくるのだけれども、その力のなさがなんとも切ない。

「雅之君、今日…なかなか来てくれないからお姉さん心配しちゃったよ。」
「ごめんなさい…。」
「来週は、来てくれるよね？」
「うん…また…一緒にプリン…食べてくれる…よね？」

　雅之君の手を握る力と、声がだんだん小さくなってくる。私は泣くのがこらえきれなくなって、泣きながら必死で呼びかけた。

「うん、うん、また一緒に食べようね！待ってるからね！きっと来てね！だから！だから！」
「必ず…行く…お姉ちゃん…の…カレー…楽しみに……………」

　しかし、途中で雅之君の言葉がとぎれるのと同時に、私の手を握っていた雅之君の手が力つきてベッドに落ち……、そして、心電図計の波がフラットになった。

　えっ…？嘘…嘘でしょ？寝ただけ…だよね。そうだよね…

「ねぇ…起きてよ、雅之君…。ねぇ！ねぇ！起きてよぉ！また一緒にプリン食べようよぉ！アタシの作るカレーを楽しみにしているって言ったじゃない！！！来週きゃろっとに来てくれるって約束したじゃない！！！」

　私は半乱狂になりながら叫んでいた。その横では心臓マッサージが行われていたが雅之君の目が開くことはなかった。余りのショックで意識が飛んでいる私の肩に手を置く人がいた。織倉先生だった。織倉先生も泣いてる…。

「うぅ…うぅ…うわぁ〜ん。雅之く〜ん、死んじゃやだぁ〜、やだぁ〜。どうして？これから良くなるって言っていたのにどうして！？うぅ…うぅ…。」

　今の私には好きな人を失った悲しみしかなかった。恥？外聞？そんなものは遠く彼方に消え去り、ただ子供のように大声で泣くだけだった。

　私は、遺体が霊安室に移ってからも暫く彼の横で泣いていた。もう、どれくらいの時間泣いていただろう。気がつくと時計の針が８時を指している。いけない…、きゃろっとを飛び出してきたままだった。マネージャー怒っているだろうなぁ…。

　雅之君のお母さんに一声かけてから、秋月病院を後にし「きゃろっと」に向かった。私…きっとクビ…だな。

コンコン…

「失礼します。マネージャー、すみませんでした。」
「ハイ、これ。今日の意味、判るわね？」

　渡されたシフト表を見ると、私の名前がない。やはりクビなんだ。厳しいクビの通知だなぁ。

「わかりました。お世話になりました。失礼します。」
「何言っているの？来週から引き続きよろしくね。」

　えっ…？私はシフト表を見直してみた。確かに今週一週間は私の名前がない。けれども、その下に小さく書いてある来週の日曜日に私の名前があった。気がつけば、すでに終わってしまっているが、今日のシフトに私の名前がない。

「これは？」
「見ての通りよ。今日はあなたオフだから、無断早退じゃないわ。それじゃ一週間ゆっくり休んでね。」
「ありがとうございます。失礼します。」

　私がミーティングルームを出ようとしたとき、マネージャーに呼び止められた。

「あ、星野さん。」
「なんでしょう？」
「今までありがとう。最後に…辛い思いをさせてごめんなさい。」
「いえ。失礼します。」

　ミーティングルームを出た後、家には帰らずきゃろっとの中にいた。
　気がつけば、自然とある席に向かって歩いていた。そう、いつも雅之君と一緒にいたあの窓側の席だ。

　既に閉店しているので店内の照明は消え、月明かりだけが窓際の席を照らす。私はいつもの様に座り、雅之君がいるつもりで微笑んでみた。けれども、微笑み返してくれる君はもういないんだよね…。

　その寂しさからか、うつむいてしまった。くっ…目頭に熱い物が…。

　カチャッ…カチャッ…

「こんばんは、星野さん。」
「涼子さん…」

　目の前に紅茶が差し出されたので、顔を上げてみると涼子さんがいた。

「隣…良いかしら。」

　私は黙ってうなずいた。隣に座り紅茶を一口飲むと、涼子さんは話し出した。

「話は志保から聞いたわ。有り難う、そしてごめんなさい。」
「涼子さんに謝っていただくことじゃありません。」
「ううん…。実はね…」

　実は、雅之君は闘病生活に疲れ気味であり、周囲もふさぎ込んでいたらしい。その気分転換として外出していたとき、ふと目に止まったのが、ここきゃろっとだったと言うことだ。
　そして、涼子さんとマネージャーは、私が織倉先生から事情を聞くよりも前に雅之君の事情をお母さんから詳しく聞いていたらしい。二人とも、私にそのことを話すべきかどうか、かなり迷っていた。なぜなら、私が雅之君の事情を知ることにより、接客にそれ（心配、同情等）がでないとも限らないからだ。

　小さい子供と言うのは気持ちの微妙な変化にものすごく敏感である。少しでも違うところがあるとすぐに察してしまう。特に雅之君の様な過ごし方をしてきた子であれば。

　結局、悩んだ末涼子さんの知らせない案で行くことになった。

　正直言うと、私に事情を話してくれなかったことは残念だった。でも…もし、このことを知った場合、今まで通り接する自信はあったけど、この微妙な感情の変化を隠し通せるかどうかの自信はない。
　だから「雅之君に楽しい想い出を作ってもらう」と言うことだけを考えれば、これはこれで正しい選択であることには違いがない。

「私…私…」
「ごめんなさい。星野さんの気持ちが落ち着いていないのに、こんな話しちゃって…。日を改めて話しましょう。あ、そうだ…」

　何かを思いだしたらしく、涼子さんは厨房へ向かい、何かを持ってきた。

「久々に作ったから、うまくいったかどうかの自信はないんだけど…」

　涼子さんはプリンを二つ、私の前とその向かい側に置く。

「さっきは、雅之君のことを思いだしていたんでしょ？ごめんなさいね、邪魔しちゃったりして。私はこれで帰ります。よかったら二人で食べて。それじゃ…」
　そう言うと涼子さんは帰っていった。一口プリンを食べると、また目頭が熱くなってきた。そう、雅之君と一緒に食べたキャロット特製スペシャルプリンの味だったからだ。

「おいしいよ、これ。ほら、雅之君が美味しいって言ったあのプリンの味だよ…涼子さんが…作って…くれたんだよ…。食べてみて…。ね、美味しい…でしょ？…っく…っく…。わぁ〜ん…」

　私はとうとう耐えきれなくなり、テーブルに伏して泣き出してしまった。

「あっ…朝か…。」

　どうやら私は泣き疲れた後、そのまま寝てしまったようだ。気が付けばきゃろっとの店内で朝を迎えた。あっちゃぁ〜、無断外泊しちゃった。ママ、かんかんだろうなぁ…。あれ？昨日はなかったのに置き手紙が。これは…

「星野さんへ

　ぐっすり眠っていたようですから、起こしませんでした。丁度今日は臨時休業日でもありますし。ご家庭の方には、急な打ち上げがあり、みんなで徹カラの後私（双葉涼子）の部屋に泊まっていると伝えてありますので、安心して下さい。

　なるほど。それじゃ、顔を洗って帰るとしますか。
　テストの日程上、通夜だけしか参列できなかったけど、どうやら無事雅之君の葬儀も終わったようである。悲しいけど、これが二人の恋(？)の結末だった。

　正直言って、人の死なんて他人事のように思っていた。ドラマのこういうシーンをみていたら悲しくなったけど、現実に直面すればあんなのは生ぬるい。心が引き裂かれ、何も考えられなくなる。
　事実、２，３日の間は上の空状態で生気は無かった。学校で起きたことはまるで覚えていないし、バイトではオーダーミスの連発。挙げ句の果てに横断歩道の信号が赤なのに渡り、車に轢かれそうになる始末。
　幸いにも雪子さんが手を引いてくれたので事なきを得たが、その時はあろう事か「このまま雅之君の後を追うのも良いかな…」とまで考えてしまった。つまり、好きな人に死なれると言うのは、これくらい冷静さを失うのである。

　そして、一週間ほどしたある日のこと…

「明日香、マネージャーがミーティングルームに来てって。」
「ん？分かった。ありがと、さとみ。」

　ミーティングルームに向かうと、マネージャーと雅之君のお母さんがいた。

「この度は、雅之のために本当にありがとう御座いました。」
「い、いえ、そんな事無いです。顔を上げて下さい。」
「織倉先生からお聞きになったかと思いますが、雅之も私達も長い闘病生活に疲れ気味になっていて、ふさぎ込んでいました。ふさぎ込んでしまうのが一番良くないと言うことで、織倉先生が気分転換の外出を勧めてくれたのです。
　そして街を散歩しているときに、ふと目に止まったのがきゃろっとでして、雅之の好きなプリンを食べて少しでも元気になってくれればと思い入ったのです。
　ところが、貴方に優しく接していただいたことが雅之には嬉しかったようで、事あることに「お姉ちゃんに会いたい」と、駄々をこねてしまい、とうとう一緒に買い物に行きたいと嘘をついてまで、こちらにおじゃましたので、織倉先生に日曜日の外出許可をお願いしたのです。そしてマネージャーさんにも無理を言って、あなたのシフトを聞かせていただきました。
　　確かに、看護婦さんや、先生達も雅之に優しくしてくれるのですが、瞳の奥にある同情って言うんでしょうか？そんな感情を敏感に察してしまって、一歩距離を置いていたんです。」

　あ、私も入院したことがあるから、雅之君の気持ちは何となくわかる。

「仕事が終わってから雅之を迎えにくるとき、楽しく話している雅之とあなたを窓の外から見ていたのですが、あなたは「きゃろっとの店員だから」とか「仕事だから」とかそう言う肩書きみたいな意識は待たずに、純粋に星野明日香として屈託無く接してくれていましたよね。
　雅之があなたのことをこんなにまで好きになったのは、これに尽きると思います。
　そして、こちらに通うようになってからは素直になりましたし、体調も良くなってきましたし、このまま上手く行けば…と少し嬉しくもなりました。でも、何より一番嬉しかったのは、あの子に笑顔が戻ったことです。貴方のおかげです。」

「いえ、そんな…」
　私は熱い物がこみ上げてくるのをグッとこらえた。そうだったんだ……もし、あの時私が怒ったりしていたら、彼の笑顔は戻らなかったのかもしれない。私はドアを少し開け、例の席が空いているのを確認した後、雅之君のお母さんを席に案内した。

「そう…ここで貴方とご一緒していたんですよね。座っていいかしら。」
「どうぞ。」

　コーヒーを飲んだ後しばらくの間窓の外を眺めていたけど、やがて席を立った。

「それでは、帰ります。本当にありがとう御座いました。」
「いいえ…。今は辛いかもしれませんが、でも機会がありましたら、またご来店いただけると幸いです。」

　雅之君のお母さんは深く一礼した後、きゃろっとを後にした。

　これ以後、私の中でお子さま対する接し方が少し変わった。けど、今はまだ心の中にぽっかり穴が空いていて、雅之君と同じくらいの子を見ると胸が痛い。この穴を埋め、痛みを消してくれるのは"時間"しかないが。
　そして、いつもと変わらぬきゃろっとの風景…。でも、私の挨拶はちょぴっとバージョンアップ。

「いらっしゃいませ！ぴあきゃろっとへようこそ。フフフ…ボク？こんにちは。」

以上、明日香の小さな恋物語でした。まる。

【第27話終わり】