キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン。
「よぅし。今日の貸し出し業務は終了。如月さん、お疲れさまぁ。ウーン」
「あ、ハイ。お疲れさまです、二階堂先生。」
放課後終了のチャイムが鳴り、図書担当の教諭、二階堂教諭は背伸びをしながら一緒に貸し出し業務をしていた図書委員、如月未緒に声をかけた。
「あ、今日はそんなに散らかっていないから、後かたづけは…いいわね。」
「え？片づけはしないんですか？」
「今日は、おさぼり…でへっ。あ、それよりバスの時間良いの？」
そうは言われても、未緒の性格では素直に受け入れられないことである。
「でも…」
「いいの、いいの。さ、ほら。遅れちゃうよ、ハイハイ…帰った帰った。」
「そうですか？そこまで仰るのなら…。それでは、失礼します。」
これ以上押し問答するのも何だし、未緒は二階堂教諭の言葉に従い図書室を後にした。
（うわぁ…、綺麗な夕焼け）
辺りは夕暮れ時。空を見上げると、それまで青一色だった空は夕焼けで真っ赤に染まっていた。こういうとき未緒は、何も考えずに周りの景色を眺める事にしている。
土手を歩いていると、グラウンドでまだ部活動をしている人々が見えた。
（野球部…サッカー部…テニス部…陸上部…、みんな遅くまで頑張るなぁ。マーネージャでも私の体力じゃとても無理ね。）
「あっ…部活動と言えば、美術部に顔を出してくるの忘れちゃった。片桐さん…もう帰っちゃったろうなぁ…」
そんなことを考えていると、どこからともなく、未緒に向けて呼びかける声があった。
『あー、あぶな…』
（えっ？）
声のする方に視線を向けると、テニスボールが未緒の方に向かっているではないか。逃げたいのだが、身体が強ばって動けない。出来ることと言えば、悲鳴を上げることだけであった。
「きゃあぁぁぁぁぁぁ」
「あぶない！…アウチ！」
実際には、大した時間は経過していないが、未緒にとっては長い時間であった。ふと、自分の身体が無事なのに気づくと、おそるおそる目を開けてみた。あわてて自分の身体を見回してみるが、やはりどこにも異常がない。
先ほど呼びかけたと思われる人が、未緒の所にやってきた。
「大丈夫ですか。申し訳ございません。あら…？まぁ大変。」
「わ…私は何とか大丈夫です。びっくりしましたけれど…。え？なにが大変なんですか？」
未緒は、テニスウェアの女性が見つめる先に視線を向けた。
そこには同じきらめき高校の制服を着た生徒が倒れていて、その女性の特徴ある髪型には見覚えがあった。
（まさか…そう言えば）
そこで未緒は気づいた。自分をかばったと思われる人物がいた事を…。
「片桐さん！？」
未緒は彩子の名を叫ぶと、彩子の元へと駆け寄った。と、同時にテニスウェアの女生徒も一緒に駆け寄った。
「片桐さん？しっかりして、片桐さん？…よいしょ、と。」
未緒は何とか彩子の上体を起こした。そうすると、額の一部が赤くなっているのを発見した。おそらくはテニスボールが当たった跡であろう。
「片桐さん？片桐さん？」
未緒が何度か呼びかけると、彩子は正気を取り戻したようである。でもまだ意識ははっきりとはしていないようであった。
「あ…未緒ちゃん？」
「あぁ、良かったぁ。気がついたんですね。」
「大丈夫だった？」
「私は大丈夫だったんですけれど、なぜ私をかばってくれたんですか？」
「かばった訳じゃないんだけどね。土手で未緒ちゃんを見かけたんで、声をかけようと思ったら、未緒ちゃん…悲鳴上げたじゃない。ふと見るとボールが向かっていたから格好良く走り寄って素手で受けようと思ったんだけど、目測誤っちゃって…。エヘヘ」
「エヘヘ…じゃありません。頭に当たったんですよ。当たり所が悪かったらどうするんですか？」
「ところで、未緒ちゃんの横にいる方は？」
「あ…それは」
未緒が困っていると、テニスウェアの女性が深々と頭を下げた。
「わたくし、古式ゆかりと申します。わたくしがあのボールを打ったのでございます。申し訳ございません。大丈夫ですか？」
「んーなんともないかな？、未緒ちゃんは？」
「私は大丈夫ですけれど、片桐さんの方が…」
「そう。それなら良かった。」
そこまで言うと、彩子は気を失った。
「片桐さん？片桐さん？ねぇ…片桐さん？どうしよう…」
予想もしていない出来事に未緒はパニックを起こしかけている。
「少々お待ち下さい、いま人を呼んで参りますので…」
そう言うとゆかりはグラウンドの方へ戻っていった。
しばらくすると、ゆかりは野球部の何人かを連れてきた。一緒に担架も。
「とりあえずは、保健室に連れてゆこうぜ」
「おう、分かった。よいしょ…と」
「それじゃ、俺達は一足先に保健室に向かうから…」
「よろしくお願いします。」
野球部員が去った今、残されたのは未緒と、ゆかりだけである。
「わたくしは、着替えてから保健室に参りますので、先に保健室に向かって下さい。それでは後ほど。」
「は…はぁ」
そうは言われても、未緒はどうして良いのか分からない。ここにいても仕方がないのでとりあえずは保健室へ向かうことにした。
コンコン…
「ハァハァ…失礼します…」
未緒は、土手から走ってきた。普通の人ならどうって事ない距離でも、未緒にとってはマラソンのように感じられる。そのため、すっかり息が上がってしまっていた。
「あら、如月さん。こんな時間にどうしたの？おまけにそんなに息を切らして…」
「え、えぇ…。テニスボールが頭に当たった友人が保健室にかつぎ込まれたので…」
「ああ、あの子ね。如月さんの知り合いなんだ。」
「片桐さんは大丈夫ですか？」
「ん〜、ボールが当たった部分、たんこぶになっているし、軽く擦り傷があるから真正面からの直撃じゃないから。多分大丈夫だとは思うわね。いま患部を冷やしているから、もう少しすると目が覚めると思うわ。」
「そうですか…良かったぁ。」
緊張がゆるんだのか、未緒は腰が抜けてしまった。
それを見て養護教諭、水樹先生があわてて駆け寄る。
「あらあら、如月さん、大丈夫？横になる？」
「いえ、大丈夫です。安心したら力が抜けちゃって…」
「先生ちょっと職員室に用事があるから、如月さん、片桐さん見ていてくれる？何かあったら呼んでね。」
「ハイ。」
水樹先生が保健室を出た後、一人残された未緒は机の脇にあったパイプイスを引っぱり出して、彩子の眠るベッドの脇に置いて座った。
コンコン…「失礼します…」
「あ、貴方は確か…」
「わたくし、古式ゆかりと申します。失礼ですが、お二方のお名前を教えていただけませんでしょうか？」
「あ、私の名前は如月未緒と言います。それでベッドで寝ている女性は片桐彩子さんと言います。」
「如月さんと、片桐さんですね。ありがとうございます。このたびは、わたくしの打ったボールでお二方には大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。」
「私なら良いんです…。ただ…」
二人の視線は、寝ている彩子に向けられる。
「そうですね。なんともなければよろしいのですが…」
「あ、良かったらとなりに座りませんか？」
未緒は近くにあった丸イスを引っ張ってきて、自分の左横に置いた。
「恐れ入ります。」
しばらくすると、用事を終えた水樹先生が保健室に戻ってきた。途中売店にでも寄ったのであろう、手には清涼飲料水のペットボトルやお菓子の入った袋が下げられていた。
「どーぉ？片桐さん、気がついた？」
「あ、水樹先生。それがまだ…」
「水樹先生、こんにちは。」
「あら、古式さん。一体どうしたの？」
「私の打ったボールが、こちらの女性に当たってしまったのです。」
「あらあら、そうだったの？」
そう言いながら、水樹先生はお菓子の袋を開け、グラスに飲み物をついで、二人に差し出した。
「ハイ。これでも飲んで」
「あ、済みません。」
「ありがとうございます。」
「う〜ん、長引くようなら病院に行った方が良さそうね。え〜と、病院の電話番号は…と。あれ、どこだっけかなぁ？」
「ん…う〜ん…」
だが、意識が戻ったらしく、彩子は目が覚めかけていた。
「あ、水樹先生。片桐さん、気がついたみたいです。よかったぁ」
「ほんとに。よかったですねぇ…」
「あ…そう？良かった良かった。どれどれ」
水樹先生がベッドに近寄ったときには、彩子は意識を取り戻していた。
「う…ん、あれ？」
「片桐さん大丈夫？」
未緒は再度呼びかけてみた。
彩子はゆっくりと上体を起こして、辺りを見回した。まるで、今どこにいるのかを確かめるように…。
「ハイ、ちょっと失礼…。どう？どこか具合の悪いところはない？吐き気はしない？目眩はしない？」
ところが、彩子は水樹先生の呼びかけにも答えず、周りを見回してボーっとしている。
「？？どうしたの？」
「あの…」
少し間をおき、彩子は口を開いた。
「なぁに？」
「ここは、どこなんですか？」
（えっ…？）
未緒は軽いめまいを覚えた。
「い…いやだ、片桐さん。ここはきらめき高校の保健室じゃない。なに記憶喪失の振りしているの？」
驚きながらも、冗談であろうと取り繕う水樹先生であるが、動揺しているのは明白である。
「そう…保健室なの。でも、なぜここにアタシは居るの？あ、アタシの名前…片桐って言うんだ。」
思いも寄らない彩子の言葉に、未緒は目の前が真っ暗になった。
水樹先生が音のした方へ視線を向ると、気を失っている未緒と、未緒がイスから落ちないよう支えているゆかりの姿があった。
「あぁ、如月さん大丈夫？とりあえずはとなりのベッドに寝かせましょう。古式さん、悪いけど手伝ってくれる？」
「はい。わかりました。」
「（記憶喪失か…やっかいなことになったわね。）片桐さん、とりあえずは検査をしに病院に行きましょうね。古式さん、悪いんだけれど如月さんを見ててくれる？」
「はい。」
「それじゃ、行って来るから。ささ、片桐さん」
水樹先生と彩子が保健室から出ていったので、保健室には気絶している未緒と未緒の看病についているゆかりしか残っていない。しばらくした後…
「あぁ、そうでした」
そうつぶやくと、ゆかりは席を立ち清掃用具入れの方に向かい、箒とちり取りを取り出してきて床に散らばっている割れたグラスを片づけた。
チャリチャリ…
その音が目覚まし代わりになったのか、未緒の意識が戻った。
「あ…私…一体。」
「気がつかれたようですね。片桐さんが気がつかれたら、今度は貴方が倒れてしまったようです。」
そのことばに未緒は周りを見回すが、彩子と水樹先生の姿がないのに気づく。
「先生と片桐さんは、どこへ行ったのですか？」
「たしか…検査をするとかで司馬クリニックへ行かれました。」
「司馬クリニック…何でもなければ良いけど…」
ガラガラガラ…。
ゆかりは割れた破片をゴミ箱に入れると、今度は雑巾を取り出して、洗面所で軽く水気を含ませた後、床を拭き始めた。
「あっ、ごめんなさい。私がやります」
「いえ、もう終わりですから休んでいて下さい。」
床を拭き終わろうと言うとき、水樹先生が病院から戻ってきた。
「お待たせ〜。あ、古式さん片づけありがと。」
「先生、お一人ですか？片桐さん、やっぱりどこか悪かったんですか？」
未緒は畳み掛けるように聞いた。
「まぁまぁ、落ち着いて」
結局、記憶喪失ではあるが、いろいろ検査はしたがどこにも異常は見あたらなかったこと、あす詳しい検査をするのでとりあえずは検査入院と言うこと、入院している病院と部屋番号などを教えてもらったが今日は遅いし、明日は日曜だから見舞うなら明日改めて…とアドバイスを受け、未緒とゆかりは帰宅した。