ドアを開けると、パジャマ姿の妙子が立っていた。妙子の顔には、疲労の後とおぼしき物が見うけられる。馨はそんな妙子の表情が気になり、声をかけた。
「妙子？」
「ゴメン…寝てた？」
「いいや。」
「ちょっと…いいかな？」
馨は黙って頷き妙子を部屋に入れると、引き続きエアガンの修理に取りかかり、あえて妙子に声はかけないでいた。妙子もベッドに腰掛けいてしばらくは黙っていたのだが、馨の作業が一段落した頃を見計らって声をかけた。
「ねぇ、それ純に頼まれたの？」
「ん？電話でね。壊れたエアガンがあるんで直してちょーだいってさ。」
「フフフ。あなたはいつも純のお抱え修理屋さんだったものね。ほら、覚えてる？竹とんぼ。」
「あぁ、あれかい？直したはいいが、純くんが思いっきり飛ばして店中を飛び回ったヤツだろ？」
「そう。あのあと三人とも怒られたっけ。」
「我ながらあそこまで飛ぶとは思っていなかったけどね。」
しばらくは昔話に花を咲かせていた二人であるが、突然妙子が黙り込んでしまった。馨は不思議に思い妙子に声をかけるが、妙子はそれには答えずうつむいているだけだ。
馨がドアの横の本棚の上に置いたクーラーボックスのところに向かい、妙子に声をかけようとしたときである。
「あのね…馨ちゃん。馨ちゃんに直して欲しい物があるんだけど…」
「なに？……妙子？ど、どうしたの？」
馨が妙子の方を振り向くと、大粒の涙をぽろぽろこぼしながら馨を見つめる妙子の姿があった。先ほどまでと様子が一変した妙子に馨はとまどってしまう。あわてて馨が妙子のところへ向かおうとすると、それよりも先に妙子の方が抱きついてきた。
「グスッ…馨ちゃん…」
「た…妙子？」
「もうイヤ。アタシもうイヤなの。こんなの耐えられない。あんな純を見ているのにこれ以上耐えられない。いつまで待てばいいの？ねぇ！ねぇ？やだよぉ… こんなの。もう待つのはイヤ…。」
「妙子、純くんだって頑張っているんだ。妙子ももうちょっと頑張ろう。ね。」
妙子をなだめるが、妙子は首を横に振り続ける。
「ダメ…ダメなの。もう限界…。このままだとアタシがどうにかなりそうなの。お願い…バラバラになりかけてるアタシの心を直して…。」
それまで馨の胸に顔を埋めていた妙子であるが、顔を上げ、そっと目を瞑った。
「妙子…」
馨は迷った。このまま妙子に応えるべきか、それとも一時の感情に任せてそうするべきではないのか。幾度となく妙子の肩に手をかけそうになったが、なんとかそれを押さえ、クーラーボックスから取ってきた缶飲料を妙子の頬にあてる。
「きゃっ、な、なに？」
「落ち着いたかい？」
「どうしたの、それ？」
馨の手には缶ビールがあった。最初は何が起こったか訳の分からない妙子であったが、落ち着いてくると冷静な判断が出来る様になる。
「あ〜、なんで馨ちゃんがそんな物持っているの？」
「来る途中で買ってきたんだよ。飲む？いっつもこうやってクーラーボックスに飲み物を隠していて、純君と夜更かしして遊んでるんだけどね。もちろん純君はジュースだよ。」
「の…飲むって、あたし達は未成年なんだぞ。」
「ま、堅いこと言いっこなし。ほら、つまみ、ここに置くから」
馨はビールのプルタブを開け妙子に渡し、つまみの袋を机の上に置いた。馨には内緒にしているが、妙子は時々父親の晩酌に付き合わされることがある。
「飲まないの？…フフフ、知ってるよ。時々叔父さんに付き合わされているんだろ。」
「な、なんで馨ちゃんがそれを知っているのよ？あ〜、純かお母さんね。まったく…」
そう言うと、妙子は勢い良く飲み始めて、あっという間に飲み干した。
「ふぅ…。……？なに？」
「い…いや。まだ、あそこにあるからね。」
「うん。ありがと。」
まさか、妙子がいきなり３５０ｍｌ缶を空けるとは思わなかったので、馨は驚きを隠せなかった。妙子は礼を言うと、クーラーボックスの中から２本目をとりだし、ベッドの上に座り込んだ。
「でもさぁ…。今考えると、あれって純への嫉妬だったのかなぁ。あなたと純が竹とんぼに夢中になっている。でも、解らない私には見ているしかない。それが何となくイヤでねぇ。仲間外れにされているって言うか、なんて言うか。時たま『純なんか、いなくなっちゃえ』なんて思ったりもしてね。」
「……」
「もっとも『いなくなる辛さ』って言うのが解らないから、そう思えたんだろうけどね。フフフ…」
妙子の言葉に馨はあえて黙ってる。
「この間も、『小生意気なヤツ』とか『どーしようもないヤツ』とか思っていたんだけど、このまま居なくなってしまうかと思ったら…」
「妙子！滅多なこと口にするモンじゃないぞ。」
「ご…ゴメン。そうだよね…叱ってくれてありがと。」
馨にたしなめられ、ちょっとシュンとしていた妙子であるが、しばらく話していると、時には泣き上戸、時には笑い上戸、またあるときには絡み酒と…ありとあらゆる酒癖を出す妙子であった。さすがの馨も『飲ますんじゃなかったかな？』と心の中で思っていた。
しばらくは沈黙が続いたが、ふと思い出し笑いをする馨。
「フフフ…」
「なぁに？馨ちゃん、いきなり笑い出して…」
「いやね、この間の朝食の献立は洋食だったけど、あれって純くんの好物なんだろ？」
「えっ？どうして解るの？」
「だって、粉チーズのトーストなんてあんなメニュー普通出さないじゃん。それに、オレが来るときには朝食は必ず和食だからね。」
「いやだ…アタシどうしたんだろう一体。ゴメンね、楽しみにしていたよね？」
「ま・ぁ・ね。でも洋食も作れると言うことで安心したよ。」
馨は妙子の質問に笑って答えた。
「どうして妙子がアレを作ったか教えようか？」
「うん…」
「推測だけどね。ひょっとして、オレの来る前日辺りの朝食の献立がアレじゃなかったの？で、楽しみにしていた純くんに断り無く献立を変えてしまった…と。」
馨の言葉を聞いて妙子は驚き顔になる。
「ど…どうして分かるの？」
「ま、伊達に幼なじみはやっていないと言うこと。あれは、純くんへの済まなさが無意識に出たんだろうね。」
「そっか…」
「なぁ…自分を責めるのは、もうやめにしないか？」
「でも、あたしが追いかけなければ…」
「ストーップ！」
馨は妙子の言葉を遮った。
「こういう考えは非常にドライで、今の妙子に辛いかもしれないけど、確かに純くんが怪我をしたのは、妙子のせいかもしれない。けれど、それをいつまでも悔やんでいたってどうにかなる？」
馨の言葉に妙子は黙っていた。
「悔やんでどうにかなる物だったら、幾らでも悔やめばいい。でも違うだろ？」
「そんな言い方しなくたっていいじゃない。じゃぁ、どうすればいいのよ？」
「ゴメン。でもさ、そう考えないと悪い方にばっかり行ってしまい、なにも状況は変わらないんだよ。」
馨の言葉に対する妙子の表情は複雑だ。おそらく、理屈は解るけど気持ちが伴わないのだろう。
「それに、何も一人で背負い込むことはないよ。みんなで分け合おう。ほらよく言うじゃない？嬉しさは何倍に、悲しさは何分の一に…って。それが家族の素晴らしい所じゃないか。妙子にできる事は、希望を捨てずに純くんの看病を続ける事なんだよ。辛いかもしれないけど、今は信じるしかないんだよ。
オレだって、まんざら見知らぬ赤の他人…って訳でもないし、オレで良ければ幾らでも力になるし、一緒にいて上げるからさ。ね？もうちょっと頑張ろうよ。」
「そうだね…。もうちょっと頑張ってみる。ありがと…」
どうやら、悪い方向へ向かうのだけは回避できたようである。妙子に元気を出してもらうために、馨は妙子をからかいに出た。
「元気の出るおまじない…してあげよっか？よく小さいとき言ってたじゃないか。『それじゃ、たえこがげんきのでるおまじないをしてあげる…ほっぺにチュッ』って言うアレ。」
「や、やだ…いきなり何言うのよ…。恥ずかしいじゃない…」
「じゃぁ、さっきオレに駆け寄ってきたアレは何？」
「あ…あれは…。もぅ、馨ちゃんの意地悪！知らない！」
ぷい…と、妙子は馨に背中を向けてしまった。
「あぁっ、お酒飲んだら暑〜い」
アルコールのせいか、それとも恥ずかしさからは不明だが、妙子は、火照ったらしく、お下げをほどいたのち、上着のボタンを２つ外して胸元をパタパタ扇ぎだす。
「ねぇ…この間アタシの友達が彼氏に喜んでもらうために化粧していたんだけど、やっぱり男の子って、そう言う女の子の方が好みなのかなぁ？」
ふと、妙子は馨の方に詰め寄って尋ねてきた。ベッドの上で手をつき前屈みになっているうえ上着のボタンが開いているので、否応なしに妙子の胸元が視界に入ってくる。おまけにアルコールのせいで、瞳が少し潤んでいて、頬もほんのり紅に染まっている。
しかも、馨自身も多少酔いが入っているせいか、お下げを解いた妙子の表情がやけに色っぽく見えて仕方がない。
妙子にして見れば単なる質問であり、まったくその気は無いのであるが、幾ら幼なじみとはいえ、状況をよく見てみれば、妙子の取っている行動はあまりにも無防備で危険ある。見方を変えれば『挑発』『誘惑』ともとれる。
「い、いや、必ずしもそうじゃないと思うよ。」
「ちゃんとこっち見て答えて。」
「イテテ…」
思わず妙子の胸元から視線を逸らして答えた馨だが、妙子の手によって無理矢理視線が戻された。
「そうなの…。ねぇ…、あなたはどうなの？」
「オレは…」
「あなたは？」
妙子の質問に答えたくても、妙子の悩ましい姿を見せつけられ動揺しているので、答えることが出来ない。
「た…妙子。」
「なぁに？」
「オ…オレ、ちょっとつまみを取ってくるわ…」
「う…うん。」
これ以上悩ましい姿の妙子に迫られる（本人にそんなつもりはないのだが）と自分を見失しないそうだったので、馨は逃げるようにして部屋を出た。