『次は、青森、青森』
列車のアナウンスが流れる。少年は荷物を整え、乗車券を手に持ち乗降口へと向かった。
今日は妙子が待ち望んだ日、少年が青森に来る日である。普通なら、楽しみのあまり遠足前日の子供のように寝られなくなる妙子だが、不思議とぐっすり眠れて朝を迎えた。
洗面所にゆき、朝シャンをして部屋に戻り、鏡台の前に座りいつものように髪をとかし、両お下げに束ねていると、自然と笑みが漏れてくる。タンスの前に立ち、何を着ようか考えていた。いつものようにジーンズも良いが、たまにはスカート姿を見せるのも悪くない。
ふと考えると、少年と再会してからは自分のスカート姿を一度も少年に見せたことがないのに気づき、ロングスカート＋ブラウスで違った自分を演出してみようとコーディネイトする事にした。
スカートを穿き終えたとき、いきなり部屋の扉が開く。
「ねーちゃん、おきて…」
「じゅ…純！」
妙子はあわててブラウスで胸を隠した。
「あ、ゴメン。まだ寝ているのかと思って…。と・こ・ろ・でぇ…」
「な…なによ」
純が笑い顔で部屋に入ってくる。妙子は知らず知らずの内に、胸を隠す手に力を入れていた。が、純の手が妙子のウェストに伸びる。
「ひゃっ。なに？」
「ねーちゃん。今更だけど、ダイエットの効果ってあったのぉ？そのウェストじゃ東京の女の子ににーちゃん取られるぜ。へっへっへ。ぷにっとな」
実は、先日からのダイエットの結果を見るために、昨日寝る前にウェストを測ると、６０ｃｍを切れていたのに喜んでいたばかりなのである。純の言葉だけだったら流せたのであろうが、さいごの「ぷにっとな」の声と共に再度ウェストをつままれたときには、さすがの妙子もキレてしまった。
「純！人をバカにするのもいい加減になさい！」
「へっへっへぇ〜」
純とて、自分の言葉による姉の反応はわかている。妙子が怒鳴ったときには、すでに部屋の外に逃げていた。普段の妙子なら追いかけはしない。だが、キレていた故、急いでブラウスを着て純を追いかけた。
バターン！
ドアを行きおいよく開ける音がしたので、純が振り向くと、そこには怒り顔の妙子が居た。さすがの純も「からかいすぎたか…」とおもうが、ここは謝るよりも、三十六計逃げるが勝ちとばかりに走り出した。
「こらぁ！待ちなさい。純〜！」
ドタドタドタ…
純と妙子の廊下を走る音がこだまする。一応台所から顔を出す母であるが、姉弟喧嘩ということで、特に気にせず再度食事の支度に向かった。
「純！行儀の悪いことをするんじゃありません！」
純が、トーストを持って走り出したので母がたしなめる。だが、間髪を入れず妙子が台所に入ってきて、お玉を数個持ち出して純を追いかけ続けた。
「妙子！」
母が妙子に呼びかけるが、妙子の耳に母の言葉は届いていない。
「この！この！」
「うわっ！ねーちゃん、何投げてんだよ！」
妙子が、持っているお玉を純に投げつける。が、すべてすんでの所でかわす純であった。執拗に追いかけてきて、しかも物理的な攻撃もしかけてくる姉に対して、純は家の外へ逃げることにした。
妙子の追跡をかわすべく、ジグザグに、時には障害物になるようなところを走る純。それに対し、スカート姿もなんのその。ビールケース、段ボール箱をハードルのごとく飛び越え、最短距離を走る妙子。
途中で八百屋の主人に向かって、
「あぁ、おじさ〜ん、そのまましゃがんでいてぇ〜」
と叫ぶと同時に飛び越えてしまうこともあったが。
それに対し、八百屋の主人はよせばいい物を『妙ちゃんは、水色か…（ボソ』とつぶやいたために、妙子の投げたお玉でノックアウトされてしまった。
一方、そのころの少年の方はと言うと、青森駅からバスに乗り、目的の停留所で降りて安達酒店へ向かっている途中であった。道中、車の急ブレーキの音を聞いたような気がするが、あえて気に止めていなかった。
（やっと着いた。）
「こんにちは〜」
少年が店に向かって呼びかけるが、反応がない。三度呼びかけたときに、やっと妙子の母が出てきた。
「あらあら、いらっしゃい。疲れたでしょう。ささ、早く入って」
「おばさん、妙子は？」
少年が辺りを回した後、質問する。
「あのねぇ、さっき姉弟喧嘩で純を追っかけて、家を出たみたいなの。せっかくあんたが来てくれたって言うのにねぇ…。探してきてやりたいんだけど、アタシが居なくなると店がね…」
「フフフ、分かりました。ぼくが見てきますよ。買い物もかねて。」
「そう？悪いわね」
そう言うと、少年は店を出て宛もなく歩き出した。しばらく歩いていると、大通りに人だかりが出来ているのが目に入った。その人だかりの先頭に、熊の髪飾りで髪を両おさげにしている女の子…つまり妙子の姿を見つけた。
（妙子のヤツ…野次馬か？しょうがないなぁ…）
「たーえーこ！よぉ！」
少年は人混みをかき分けて、妙子のところへ行き声をかけた。
だが、妙子を見ると顔は青ざめ、うつろな表情である。
「妙子？妙子？」
「……どうしよう。あたしが…あたしが…純を…」
少年が何度か呼びかけるが、少年の言葉は妙子には届かず、誰に言うともなく独り言を言い続ける妙子であった。
ふと妙子を見ると、妙子の視線はどこかに釘付けになっているらしい。少年も妙子の視線を追ってみると、電柱にぶつかっている車と、その横には、全身に擦り傷を負っていて倒れている男の子の姿があった。その男の子が妙子の弟、純であることであるに気づくのに、そう時間はかからなかった。
「妙子！妙子！！一体何があったんだ！？妙子！」
「あ…馨ちゃん…。……わぁ〜。純が、純が死んじゃう〜」
うつろになっている妙子を何度か揺さぶり、大声で呼びかけていると、妙子は目の前の少年に気がついた。そして、少年の姿に気づくと同時に、大粒の涙を浮かべ、大声で泣き出してしまった。
馨は、泣きじゃくる妙子も心配だが、純の方も気がかりである。車のドライバーに事情徴収している警官のところへ行き、事のいきさつを聞いた。
警官の話によると、妙子に追いかけられた純が後ろを振り向きながら車道に飛び出したとのことである。純の方も後ろを振り向いていたために、車道に飛び出したことに気がつかなかったのである。救急車の事を尋ねると、もうすぐ来るとの話なので一安心した。
それからまもなく、救急車が事故現場にやってきて、救急隊員が現場にいる警察官と話をしていた。
「この坊やは一人だったんですか？」
「いいや、えっと…あぁ、あの女の子が姉らしいよ。」
「すみませーん、ご家族の方。一緒に来ていただけますか？」
救急隊員が妙子に向かって話しかけるが、ショックのあまり、妙子はそれに気がつかない。馨は情緒不安定な妙子を一人にして置くべきではないと考え、妙子と二人で病院にゆき、そこから安達酒店に連絡することにした。
「あ、はーい。ほら、妙子。行くよ」
「う…うん」
馨は、まだ泣きじゃくっている妙子の手を取り救急車に向かい、純と馨と妙子を乗せた救急車が病院へと向かった。