『名雪』と会えるのも後わずか。そう考えると気が重たかった。
「祐一さん、おはようございます」
ダイニングに入ると秋子さんはちゃんと着替えていて、今まで見せてくれたように笑顔でオレのことを迎えてくれた。
昨日の疲れ切った表情が頭に残っているオレは、秋子さんの変わり様に驚いてしまった。
そんなオレを見た秋子さんは、クスッと笑いながら声をかけてくる。
「昨日一日休ませて貰ったおかげで、すっかり元気になりました。病気…では無かったですが、体力的に疲れているところに精神的にも疲れてしまったので、二重に疲れたんですね。でも祐一さんの看病のおかげで、何とか元気になることができました」
それでもまだ名雪達のことから立ち直ったわけではない…とも漏らしていたが。確かにこの間から見ると秋子さんの顔色は凄く良くなっていた。良かった。でも、正直、今度はオレの気分が重かった。理由はただ一つである。『名雪』との別れがいよいよ近づいているからだ。
「祐一さん、学校…どうします？」
「そうですね…」
秋子さんが元気になった今、オレが休み続ける理由はない。
そうだな…学校に行くか。しかし秋子さんの口から思いもしない言葉が出てきた。
「祐一さん…祐一さんも疲れているのに、ここの所ずっと家のことをしてくださったでしょう？私はもう大丈夫ですから、今度は祐一さんが休んでください」
確かに疲れていると言えば疲れているかもな。でも家にいれば『名雪』との別れについてばかり考えてしまう。気分転換の意味もかねて、やはり学校に行くことにした。幸い、今日は土曜日だし早く帰ってこられる。
「うーん、ありがたいですけど、大丈夫です。それよりクラスメートが心配していると思いますから、今日は学校に行きます」
「本当に大丈夫ですか？」
秋子さんは心配そうにオレのことを見つめる。その視線は、この間オレが秋子さんに向けた視線そのものだった。オレも暇があれば休ませて貰っていたから大丈夫だろう。
秋子さんを安心させるために、笑顔で答えた。
「大丈夫です。今日は土曜日ですから、早く帰ってこれますし」
「はい。わかりました」
秋子さんも、笑顔で答えてくれた。
いつものように、トーストにコーヒーの朝食。今日は秋子さんもオレと同じご飯を食べている。確かに秋子さんの言うように、体力とかが回復しているからのだろう。
「ごちそうさまでした」
食事を終えると八時丁度。学校に行く時間である。オレは席を立った。
「あ…祐一さん…」
鞄を取ろうとしたが、秋子さんに呼び止められた。なんだろう？
改めて秋子さんの方を見ると、心配そうな顔をしている。ホントに心配性だなぁ…さっき大丈夫だっていったのに。
「あ…あの。気をつけてくださいね」
「？」
「くれぐれも、事故には気をつけてくださいね」
そうか…名雪を交通事故で亡くしたから、事故に対しては過敏になっているんだ。
「はい。ありがとうございます。では、行ってきます」
「行ってらっしゃい…」
だが、オレが家を出るまで秋子さんはずっと心配そうにオレのことを見ていた。
そう言えば、一人で学校に行くなんて始めてだな。今まではずっと名雪が一緒だったもんな。でも、学校に行っても知った顔は減っている。
とりあえずは担任に報告だな。職員室に入り、担任の席へと向かう。
「おはようございます。ご心配おかけしました」
「おぉっ相沢か。大変だったな…もう、良いのか？」
「えぇ…何とか」
「そうか。分かった…何かあったら遠慮無く言ってくれ」
「はい。それでは失礼します」
職員室を後にしたオレは、まっすぐ教室に向かった。
いつもと変わらない風景…いつもと同じ生徒の動き。この間、ここで舞の流血事件があったなんて…佐祐理さんが自殺したなんて…全然感じられない。
久々に来た教室。すこし躊躇ったが、オレはドアを開けた。
「おはよーっす」
誰に言うでもない挨拶をして中にはいると、一瞬教室内の空気が凍ったような気がした。……いや、気がしたのではなく、教室中のみんながオレのこと見ていた。気まずい雰囲気…けど、それを壊したのは北川だった。
「相沢！もう大丈夫なのか？」
正直、北川の呼びかけは助かった。これがなければ重い雰囲気が続くし、オレもどうやって切り出したらいいのか分からなかったからだ。
「みんな、心配していたんだぞ」
そうだろうな。それは入ってきたときにすぐ分かった。オレはみんなを安心させるように入り口で答えた。
「心配かけたな…。もう大丈夫…とまで言い切れないけど、なんとか…な」
そう言うと、クラス全員の表情が安らいだようになった気がする。そして再び教室内には、それぞれの話し声が流れ始める。
その喧噪の中を歩き、自分の席に着く。やはり隣の机の上には花瓶が置かれていたし、その後ろの席には人の気配がなかった。分かっていたことだけど、やはり目の当たりにすれば辛い。
「おい…お前が居ない間に凄いことになったんだぞ」
北川が話しかけてきた。だいたい話の内容は見当が付く。
「香里が転校したんだろ？」
「居なかったのに、何で知って居るんだ？」
「名雪に焼香しに来たときに聞いたんだ」
「そっか…。だけど、お前がいない間、オレ…一人残された感じで嫌だった。来てくれて嬉しいよ」
「心配かけて悪かったな。なんかおごるから」
「まぁ…何かあった言ってくれ。力になるから」
「ありがと」
チャイムが鳴った。オレ達は話を止めて席に着く。
そうか…オレ達四人は、いつでも一緒だったからな。おまけに北川は香里に気があったみたいだし。今回のことは、北川にもショックだったんだろう。
今までも授業はおもしろくないと感じていたけど、余計につまらなく感じた。それでも、どうにかノートだけは取ることにした。もう頼る人が居ないのだから。
いつものように授業時間が過ぎてゆく。
そして帰りのホームルーム。今までと変わりない流れ。なぜかオレだけが取り残された感じがしてしまった。
「相沢…どこかによって行くか？」
ぼーっとしていたオレを呼び戻したのは北川だった。
北川なりの気遣いなんだろうな。嬉しいけど、今朝ほどの秋子さんのことを考えると、寄り道することはできない。それに家ではやることだってある。北川には悪いけど断ろう。
「悪い、今日は初七日の準備があるからまっすぐ帰るわ」
「そうか…それなら仕方がないな」
「こんど…な。それじゃ」
「おう」
北川に別れを告げると、オレはすぐに学校を出た。
もちろん秋子さんの言葉通り交差点では注意して渡った。
「ただいま帰りました」
玄関を開けると、廊下の掃除をしていた秋子さんの姿があった。オレの姿を見た秋子さんは一瞬動きを止めたが、無事帰ってきたことに安心したらしくため息を付いた。
「おかえりなさい、祐一さん」
「ただいま」
オレが無事帰ってきたことに安心した秋子さんは、掃除を続ける。オレも着替えるためにまっすぐ部屋に向かった。着替えてリビングに向かうと部屋に秋子さんの姿が無かった。あ、そうか。明日の初七日の準備をしているんだな…きっと。客間に向かうと予想通り、秋子さんは何か…色々と準備をしていた。
初七日が近づいていると言うことは、同時に『名雪』との別れも意味している。覚悟はしていたつもりだけど、いざそれを目の当たりすると、言いようのない悔しさみたいなものがわき出てきた。そう、もう後悔だけはしたくない…何もできないのはイヤだ。
残された日は今日を含めて二日。この二日間は、『名雪』のために何でもしよう。そう決意すると、まずは秋子さんの準備の手伝いを始めた。
夕食後、オレは『名雪』の心残りになりそうなものは何かと、ぼーっとしながら考えていた。『名雪』の夢であるオレとの結婚は叶えたし、イチゴサンデーも食べることが出来た。あとは…何があるんだろう？
「…ん」
「祐一さん？」
あ、秋子さんが呼んでいたのか。考え事して気が付かなかった。
「済みません、何でしょうか？」
「お風呂、沸いていますからお先にどうぞ」
「はい、ありがとうございます」
風呂に入ったら良いアイディアが浮かぶかな？気分転換には良いだろう。だが、風呂に入って色々考えをめぐらせていたが、一向に思いつかない。これが漫画だったら、最後の思い出…ってＨするんだけど、まさか秋子さんの体を使ってＨするわけには行かないしな。
第一、そんなこと名雪が許すはずはない。結局はいつも通りでいるのが一番良いのかもな。風呂から上がると飲み物をもらいにキッチンへと足を向ける。
キッチンにはいると客間の電気がついているのが見えた。秋子さん…まだ準備しているのかな？オレは声をかけてみた。
「秋子さん？」
「はい？」
やっぱり秋子さんは客間にいた。だが、明日の準備をしているわけではなさそうだ。たぶん名雪達と話していたのだろう。オレは秋子さんの隣に座った。
「名雪達と話していたのですか？」
「えぇ…」
「オレもご一緒して良いですか？」
「もちろんです」
オレも秋子さんと一緒に名雪達と話すことにした。
なぁ…心残りなことはないか？名雪。
真琴…名雪と仲良くやっているか？名雪を困らせていないか？
「さて、それでは私もお風呂に入らせていただきます。済みませんが、お風呂から上がったら部屋に戻りますので、電気を消していただけますでしょうか？」
「いいですよ」
飲み物を貰ったらオレも部屋に戻ろうと思っていたし。
秋子さんが客間を出ると同時にオレも客間を出て部屋に戻った。
さて…と。後二日、『名雪』の心残りになっていそうなことが全然分からないので、結局は本人に聞くことにした。これが一番確実だし。ただ…お金や時間のかかることだけは不可能であるが、そこの所は我慢して貰おう。
オレは『名雪』が来るまでの時間を読書で過ごすことにした。
昨日の読みかけの本に目を通す。
さて…そろそろかな。読書を中断して時計に目を向けると、『名雪』が来るいつもの時間である。
だが、今日に限って待てど暮らせど『名雪』が部屋に来る気配がない。迎えに行こうと思ったが、下手に向かうと秋子さんと鉢合わせをする可能性が高いので、敢えて部屋で待ち続けることにした。
後一日しかないのに…。まさか寝坊…って事はないよな。だが、今回ばかりは寝坊したからと行って起こすわけには行かない。そんなことをすれば起きるのは秋子さんだからだ。
『名雪』を待ち続けているうちに、どうやら寝てしまったらしい。気が付いた時には、すでに朝になっていた。辺りを見回しても『名雪』が来た気配無い。
まさか…予定より早くなったとか？いや、まだ今夜ある。今夜も待ってみるか…。
【第十話終わり】