娘を一人失うだけでも辛いのに、二人一度に失ったとしたら？その辛さは想像を絶することになる。だが、その想像を絶する悲しみの中に秋子さんはいるのだ。
真琴を亡くしてから一週間程で名雪が交通事故で逝った。
いつもは悩み事があっても人に心配をかけないよう振る舞う秋子さんだけど、さすがに二人の娘に死なれては、そんな余裕もない。
食事の支度等の家事を終えると、二人の遺影の前にずっと座っている。時には、グッと唇を噛みしめているときもあった。秋子さん…泣くのをこらえて居るんだな。きっと、自分が泣けば際限なく泣いてしまうのを知っているから、こらえて居るんだろうけど…、それ、見ているオレも辛い。
ここしばらくの秋子さんの様子を思うと寝付けなくなってしまったオレは、ベッドの読書灯をつけて本を読むことにした。
コンコン…
もやは誰がノックをしていると考える必要はない。
この家にはオレと秋子さんしかいないからだ。
「はい、起きてます」
だが、秋子さんは入ってくる気配がない。
まさか…名雪の幽霊？そんなバカな話はないよな。
ベッドから出て部屋のドアを開ける。そこには秋子さんの姿があった。
「秋子さん、こんな夜中に何か用事ですか？」
「………」
オレが呼びかけても秋子さんは返事をせず、おどおどした感じでオレのことを上目遣いで見ている。いつもの秋子さんとちょっと様子が違う。でも、この仕草…どこか見覚えがある。秋子さんが黙り続けている物だから、気になってしかたがない。
「オレに用事があったんじゃないんですか？」
そう尋ねると、今度は視線を下に向けた状態で軽く俯いた。この仕草…さっきから見覚えがあると思っていたら、当たり前だ。これは名雪の仕草だからだ。いや、参ったね。秋子さんはたまに強烈な冗談を言うときがあるけど、これは洒落にならないよ。
っつーか、こりゃ秋子さんでもやっちゃいけない冗談だろ。
「秋子さん、頼みますから悪い冗談やめてくださいよ」
そういうと、秋子さんは俯いたまま手をもじもじさせる。これも言いたいことがあるのに言えない状態にある名雪が出す癖だ。はっきり言ってオレは切れそうになった。このまま名雪の真似をしている秋子さんにつきあえば逆上しかねない。
つきあってらんないよ…悪いけど。
秋子さんにしてみればオレを慰めでいるつもりなのだろうけど、逆効果だ。切れる前に部屋に戻ろう。下手に切れれば秋子さんのことを罵りかねない。
「悪いですけど、オレ、そんな冗談につきあってられませんから」
目の前に秋子さんに冷たく言い放って部屋に戻ろうとしたが出来なかった。
秋子さんに手を捕まれていたからである。
「祐一…待って」
今、秋子さん『祐一』と呼び捨てたよな？秋子さんなら『祐一さん』と言うはず。しかも『待ってください』ではなく『待って』だ。いくら秋子さんでも我慢の限界ってモンがあるぞ。
「秋子さん、名雪の真似をするのは、いい加減にやめてくださいよ！」
ヤバイ…これ以上名雪の真似をする秋子さんの相手をしてたらマジで切れそうだ。秋子さんには悪いがこうなりゃ相手にしないのが一番だ。オレは秋子さんの手をふりほどいて荒くドアを閉めた。
ドンドンドン…
「祐一！お願い、わたしの話を聞いて…」
ノックどころか、ドアをたたいて食い下がってきているよ…。
構わねぇ…無視だ無視。
ドンドンドン…ドンドンドン…
「祐一！お願い、話を聞くだけで良いから…お願い…。ぐす…わたしね…いま、お母さんの中にいるんだよ」
しかし秋子さんは名雪の真似をするのをやめない。っつーか、だんだん言動がエスカレートしてくる。秋子さんがここまでしつこい人だと思わなかったよ…。今の言葉には、さすがのオレでも堪忍袋の緒が切れたので、ドアを勢いよく開けて秋子さんに向けて怒鳴った。
「秋子さん！いい加減にしないと、オレだってマジで怒り…」
だがそれ以上怒れなかった。
秋子さんがマジで泣いていたからだ。
「秋子…さん？」
「ゆう…いち、ぐす…ありがとう」
このまま泣きじゃくる秋子さんを放っておくことが出来なかったので、部屋に入れることにした。夜中に女性を部屋に入れることにためらいもしたが、恋人の母親だし、秋子さんに名雪の影をダブらせるほど愚かなことをするつもりはない。
それ以前に、秋子さんは叔母なんだし。まぁ…そういう意味から容姿は若くて美人ではあるが秋子さん相手に間違ってどうこうはならないだろう。
「とりあえず…座って」
「…うん」
オレはイスに逆向きで座り、秋子さんをベッドに座らせるよう促した。
「で…さっきの言葉の意味だけど…？」
「あのね…」
秋子さんの言葉を簡単にまとめると、名雪の魂は完全に成仏しておらず、初七日までは現世との最期の別れを惜しむ期間として地上にとどまっていられるらしい。そして告別式の夜、夜中に秋子さんが寝ているときに冗談半分で体の中に入ろうとしたら、名雪の意志で体を動かせるようになった…つまり乗り移れたのである。
最初の日は乗り移れたことに怖くなってすぐに秋子さんの体から出たが、二日目は思い切ってオレのところに会いに来ようと思ったらしく今に至っている。
どうにも秋子さんの言葉が信じられないオレは、いくつか質問をしてみることにした。オレと名雪の間でしか知らないことを聞いて答えがすぐに出せなかったり、間違っていたとしたら秋子さんの演技…と言うことを証明できるからだ。
「ちょっといくつか質問をするぞ」
「うん…いいよ」
とりあえず名雪と話すような感じで秋子さんに話しかけてみたが、秋子さん相手にタメ口で話すのは、やっぱり違和感があるな…。
「初めてエッチした日はいつだ？」
「わっ…いきなりなんて事聞くんだよ」
「でも、大切なことだ」
「うん………一月…二十五日」
合っている。でも秋子さんと名雪とがツーカーの間柄である以上、簡単に安心できない。オレは更に質問を続ける。
「オレと舞が知り合うきっかけになったのは？」
「わたしが祐一に貸したノートを祐一が学校に忘れて、それを取りに行ったこと」
「以前に、風邪でもないのにくしゃみをしながら帰ってきたよな？なぜだ？」
「朝、祐一に止められたのに猫さんに会いに行ったから」
一応、名雪の話では秋子さんの知らないことになっていることを二，三質問してみたが、見事答えが一致していた。ここまでピタリと一致すると、驚くと共に段々気味が悪くなってきた。
「最後に一つだけ」
「うん…」
「オレと名雪が最後にエッチしたのはいつだ？」
「わ…だから、なんで恥ずかしいことばかり聞くんだよ」
「重要なことだ」
「あの…初めての夜が最初で…最後なんだよ。そういえば、あの夜もこんな感でお互い座っていたよね…」
正直言って、オレは目の前にいる秋子さんに対して、秋子さんとして接するべきか名雪として接するべきなのか分からなくなってしまった。そんなオレに対して秋子さんの口からだめ押しの言葉が出てくる。
「初めてのＨ、わたし…後ろ向きですっごく恥ずかしかったよ…」
だめ押しの言葉に思わず吹き出しそうになった。そう…名雪は、たとえオレとエッチしたことは秋子さんに言えても、これだけは恥ずかしくて口が裂けても言えないと話していたからだ。
「………本当に名雪なんだな？」
「…うん、信じられないと思うけど…。もっとも、わたし自身も信じられないけどね」
信じられないが、目の前に居る人物は秋子さんだけど中にいるのは本人の言葉通りに名雪なのかもしれない。でも…本当に魂が別の人に乗り移ることなんてあるのか？
いや、目の前で起きていることがまさにそれである。
事実は事実として受け止めなければいけない…が、あまりにも突拍子すぎて、どうしても信じることが出来ない。まぁ…秋子さんの演技だとしても頭ごなしに否定するのではなく、好意でしてくれていることであろうから、いずれにせよ名雪として付き合うじゃないか…。
「…分かった。ちょっと信じにくいけど、お前を名雪と思うよ」
「ありがとう…祐一。やっぱり優しいね…」
それからオレ達は、あの事故の起こった後について語っていた。
自分のことを話すより、真っ先に秋子さんや香里のことを聞いてくるところみると、やっぱり『名雪』なのかぁ…と感じてしまう。秋子さんのことは大体想像はついていたようだが、香里も秋子さんと同じ様な状態にあると告げると表情を曇らせた。
自分が知りたかったことを聞き終えると、『名雪』は自分が死んでからのことを話し始めた。面白かったというと不謹慎だが『名雪』が自分の葬式を見ていたときのことを聞くと、よくその手の雑誌で、空の上から見ていて居るようだった…とかあるけど、まさにそれであったらしい。
「ふぁ…わたし…寝るね」
「あ、あぁ…」
『名雪』が部屋に来てから約一時間、どうやらこの辺りが乗り移れる限界のようである。『名雪』が部屋を出てったのでオレも寝ることにした。しかし…秋子さんだけど中にいるのは名雪…何とも複雑な心境だな。
バタン
隣の部屋からドアを閉める音が聞こえてきた。ん？ちょっと待て…今の『名雪』は名雪であって名雪でないはず。あのバカ…自分が秋子さんの中にいるのを忘れて秋子さんの部屋に行かずに自分の部屋に戻りやがって。
何とかして秋子さんの部屋に行かせないと、このまま朝になったら秋子さんがびっくりするだろうに。まだ間に合うかな？
あわてて名雪の部屋にはいると、既に布団に入って寝入っていた。
一瞬起こすのを躊躇った。なぜなら『名雪』が秋子さんの体を離れてしまっているおそれがあるので、ここで秋子さんが目覚めてしまうとエライ事になるからだ。しかし、このまま寝させて置くわけには行かない。まだ離れていないことを祈りつつ『名雪』の体を揺さぶった。
「名雪…。名雪、起きろ…」
「うにゅ…祐一、どうしたの？」
よかった…まだ離れていなかったか。
「ここはおまえが寝る部屋じゃないだろ」
「だって…。ここ、わたしの…。あ…」
ようやく今の自分が寝るべき部屋に気づいたらしい。部屋を移動している最中に『名雪』が眠ってしまうといけないので、眠そうに目をこすっている『名雪』に付き添って秋子さんの部屋へ向かう。
秋子さんのベッドにはいると、『名雪』はすぐ眠りに落ちた。
秋子さんの体の中に名雪の魂ね…やれやれ…何とも不思議な気分だこと…。
【第四話終わり】