この冬…オレと名雪の関係が少し変わった。
いとこで…幼なじみで…クラスメートが…恋人へと。
だからといって二人の様子が特に大きく変わったかというと、朝はいつものように名雪を起こして、いつものように学校へ行って、いつものように家に帰ってきて一日が終わる。そんな日常が繰り返されている。恋人らしく振る舞っているときもあるが、基本的にはいつもの二人なので変わっていないとも言える。でも、無事平穏に過ごせることが、このときには当たり前に思っていた。
突如訪れた平穏な日常の崩壊…それは一つのニュースから始まった。
「祐一さん、今朝のニュースご覧になりました？」
「ニュースですか？」
「えぇ…七年前、木登りをしているときに木の上から落ちてずっと意識不明だった女の子がいたのですが、昨夜亡くなったそうです」
まさか…木登りをして落ちた女の子って…。
「その女の子って…」
「月宮あゆちゃん…だそうです」
あゆ…。ここんところ姿を見せないと思っていたら…。悲しいのもあるが不思議と冷静でいられた。…いや、ホントは悲しくて仕方がなかったのかもしれない。なぜなら、次にオレが気づいたときには家の外だったからだ。
どうやら秋子さんの話を聞いてから、オレはずっと上の空だったらしい。秋子さんや名雪に言われても生返事を返すだけ。よく寝ぼけている名雪を外に連れだしたところで目が覚めることがあるように、今回のオレも同じ感じなのであろう。
学校に向かう間ずっと、この間まで会っていたあゆは一体何だったのか…と考えていた。でも、幻とはいえ今まで会っていた人と会えなくなるのは悲しい。気落ちしているオレの横では名雪が心配そうにオレのことを見ているのが目に留まった。
「祐一…大丈夫？」
「大丈夫だ…」
「無理しないでね」
「あぁ、サンキュ…」
学校に到着すると人だかりが出来ていた。
人混みをかき分けて行くと、生徒が倒れているのが見える。どうせ貧血か何かだろう…と思っていると意外な人物がその隣にいた。
佐祐理さんである。
「舞…舞…起きてよ…舞…舞！舞！」
泣きながら舞の名前を呼ぶ…いや叫んでる佐祐理さん。
「佐祐理さん！」
佐祐理さんに声をかけて人混みの中から抜け出す。
倒れている生徒は佐祐理さんが声をかけていたとおり舞である。慌てて舞の所へ駆け寄り体を起こすと手にイヤな感触を感じた。手のひらを見ると赤い液体がべっとりと付いている…血だ。
「キャーッ！」
を当ててみるが脈はない。そして抱き起こした舞の体の冷たさが舞の死を明確に告げていた。魔物にやられたか、あるいは…。
「舞、血が出ているよ…」
舞の血は制服の胸の部分とケープの裾を赤く染めていた。佐祐理さんはポケットから真っ白でレースの刺繍のついたハンカチを取り出すと舞の胸に当てる。いまさら止血をしても無駄なのはオレは元より、当の佐祐理さんも承知であるはずだ。でも、佐祐理さんは舞の傷を放っておけないのだ。
佐祐理さんは涙を流しながらも何とかいつもの笑顔を保ちつつ、ハンカチで舞の血を拭っている。
「舞…今日のお弁当のおかずはね、舞の大好きなタコさんウィンナーと卵焼きはもちろん、舞の好きなものばかり入っているんだよ…。だから…起きて…ねぇ、起きてよぉ…舞…」
佐祐理さん、きっと頭では分かっているんだろうけど気持ちとしては舞の死を認めたくないんだろうな…。
「佐祐理さん…」
オレは舞の体を揺さぶっている佐祐理さんの手を握ると、首を横に振った。
オレを見た佐祐理さんの動きが止まる。それまでベソをかいてはいるが必死で泣くのを堪えていた佐祐理さんだったが、とうとう堪えきれなくなったらしく、いつもの笑顔があっという間に壊れ、泣き顔に変わっていった。
「えぐ…ぐすっ…祐一さん、佐祐理…何か悪いことをしましたでしょうか？」
佐祐理さんの問いに首を横に振って答える。
「一弥が教えてくれたことを、佐祐理は頑張っていました」
佐祐理さんの言うとおりだ。佐祐理さんは頑張っていた。人は人を幸せにして自分も幸せになれる…その言葉を胸に秘め、舞に対して一生懸命だった佐祐理さん。
「うん…」
「じゃぁ…なんで、舞まで佐祐理の前からいなくなっちゃうんですか？」
もっともな佐祐理さんの疑問。でも…オレは答えられなかった…。
「お願いです…答えてください。でないと佐祐理、これから何を信じて、何を目標にして行けばいいのか分かりません。祐一さん、祐一さん！お願いです…佐祐理…これからどうすれば…」
佐祐理さんは、すがるようにオレの制服の袖をつかんで揺さぶる。オレは何か答えるべきなのだが、その場しのぎの言葉でうわべだけ慰めても佐祐理さんが納得しないのは分かっている。
それだけに必死で言葉を探したけど、今の佐祐理さんを落ち着かせることの出来る言葉をオレは見つけることが出来なかった。
「ぐすっ…ぐすっ…。うわぁ〜ん、舞…舞…死んじゃやだよぉ…。一弥だけでなく舞まで死んじゃったら、佐祐理…佐祐理…」
オレが何も言わないので、どうにもやりきれなくなった佐祐理さんは周りにいる生徒達の目も舞の血で濡れてしまうのも構うことなく舞に抱きついて大声で泣き出した。オレは佐祐理さんの身の上を知っているだけに、舞の死に号泣している佐祐理さんを見ているのが辛かった。
それと同時に野次馬の生徒から悲鳴が上がる。舞の首筋に手 そして…佐祐理さんに何も出来ない自分が悔しかった…。
騒ぎを聞きつけて保健の先生をはじめとした何名かの先生がやってくる。舞は保健の先生が持ってきた担架で保健室へ運ばれることになった。担架に乗せられた舞の手を握っている佐祐理さん。その目は何処か遠くを見ているようで、視線が定まらないようで…心ここにあらずと言った感じだ。むろん佐祐理さんも一緒に保健室について行く。オレも行こうとしたが、授業をさぼってはいけないと佐祐理さんに丁重に断られた。
佐祐理さん達の後ろ姿を見ていると、誰かに手を取られる。
振り向くと名雪が俺の手に付いていた舞の血を自分のハンカチで拭いていた。
「祐一…血…ついているよ」
「あ…あぁ…サンキュ」
しばらく惚けていたが、予鈴のチャイムで何とか我に返ることが出来た。
「教室に行くぞ」
「うん…」
一時間目の授業が終わると佐祐理さんの様子が気になったので三年の教室に行くと、保健室にいるとのこと。たぶん舞のことでショックを受けて寝込んでいるのだろう。舞は佐祐理さんの高校生活の支えと言っても過言ではないからだ。そんな佐祐理さんが舞を失って正常でいられるわけはない。
オレも保健室へ向かうことにした。
保健室へ向かう途中、香里と会った。話を聞くと香里も保健室へ向かうとのこと。栞の調子が良くないので様子を見に行くらしい。もう少しで保健室に到着しようかと言うときである。
「キャ―――――――ッ！だれかっ！」
保健室から女性の叫び声が聞こえてきた。
「栞!?」
確かに栞の声である。何があったんだろう？
だが、香里は考えるよりも先に保健室へ向かって走りだした。オレも後れをとらないようすぐに走り出す。
「どうした！何があった？」
「栞!?どうしたの？」
オレ達が保健室に飛び込むと、栞は青ざめた表情で何かを見ていた。少しの間オレ達が居ることに気がつかない栞だったが、オレ達に気づくと香里の元へ走り出した。
「…お姉ちゃん、祐一さん…。あぁっ、あれ」
香里に抱きつくと振り返らず何かを指さす栞。栞の指さした方へ視線を向けると…オレは全身の血が凍った。
栞が示した先には、ベッドに横になって佐祐理さんの姿があった。ただし、ベッドのカーテンには至る所に血しぶきの跡があると言うおまけ付きである。あわてて佐祐理さんの元へ向かうと、真っ赤な血で染まっているカッターを持っている。血しぶきの位置から察するとどこを切ったかなんて調べる必要はなかった。佐祐理さんは頸動脈を切って自殺した…。
「私…具合が悪くて寝ていたんだけど、隣に寝ていた人のうめき声が小さく聞こえたんで…具合が悪いのかなと思って声をかけてみても返事が返ってこなくて…それでベッドのカーテンを開けて見てみたら…」
真っ赤な血で染まったカッターナイフに気を取られていたが、枕元に封筒がある。まさか…これって。イヤな予感がしたので、佐祐理さんに悪いと思いつつ封筒を開いてみることにした。
「お父様、お母様へ
先立つ不幸をお許しください。
一弥が逝き、舞も逝ってしまいました。
佐祐理の大切な人が…みな、佐祐理の前からいなくなっています。
もう、これ以上大切な人を失うのに耐えられません。
佐祐理は、これから大切な人の元へ向かいます。
佐祐理」
なんてこった…。
佐祐理さんがオレの同伴を断った理由はこれだったんだ。あの時授業をさぼってでも保健室に来るべきだと悔やまれて仕方なかったが、後悔先に立たず…。おそらく手首を切っても死ねないと言うことを知っていたから確実に死ねる頸動脈を切ったのだろう。
誰が悪いと言うことではないが、信じていたことに裏切られた結果となった佐祐理さん。それが自分の過ちでたった一人の弟を死なせたことから学んだことであるだけに、佐祐理さんの動揺は計り知れない。
ただ…誰も悪くないのに人が死んでしまうやりきれなさ…。あゆとの出来事で七年前のこの町の記憶を閉じこめた経験から、それはオレもよく分かる。そして…佐祐理さんの亡骸を前に、オレはまた何も出来ない悔しさを味わうことになったのだ。
しょせん、オレに出来る事なんてないのか？黙ってみているしかできないのか？だとしたらオレの存在って一体なんだよ！心の中で叫んでみたが、その答えが返ってくることはなかった。
【第一話終わり】