（ふぅ、やっぱり無いと不便だな…）
ふらふらとした少々危なっかしい足取りで、時々止まっては何かを確認する 様にしながら、放課後の図書室から玄関に向かう女の子の姿があった。
彼女の名前は如月未緒。きらめき高校２年生、眼鏡がよく似合う女の子である。
事件は昼休みに起こった。未緒がいつもの様に図書室へ本を返しに行く途中のことである。今日は何を借りようか？と考えながら歩いていたために、曲がり角から急に出てきた人には気づくのが遅れた。
「きゃっ！」
「わっ！」
二人の女の子は、お互い廊下に尻餅を付いてしまった。
「いたた…、あ、大丈夫ですか？」
「いった〜。え？大丈夫だけれど…あ！アタシ急いでいたんだっけ。ゴメ〜ン。今ちょー急いでいるんだ。ホントにゴメンねぇ〜……」
よっぽど急いでいたのか、それともあわてていたのか、シャギーヘアっぽい女の子は、謝り終わらないうちに駆け出してゆく。後に残された未緒は、目の前の視界がぼやけていることに気づいた。
どうやら、ぶつかった拍子に眼鏡が外れてしまったようである。彼女の視力は、裸眼では相当悪く、知っているところでなければ、歩くことすらできないほどである。
尤も知っているところであっても、ほとんど手探り状態である。
未緒は、あわてて眼鏡を探した。目を凝らしながらようやく廊下の隅にある消化器の陰に眼鏡を見つけ、取りに向かった。
（あ…、割れてる）
彼女の眼鏡は、フレームが上半分だけで、下半分はレンズだけというタイプの眼鏡だ。メガネの側にあった消化器には少し傷が付いていたので、おそらく消化器にぶつかったのであろう。その衝撃で、ガラス製のレンズは左右とも割れてしまっていた。
未緒は割れたレンズと借りていた本を拾い、レンズを失ったフレームを胸ポケットに入れ、たどたどしい足取りで図書室に向かった。本当なら、また本を借りる予定であったが、眼鏡が無くては本を選ぶことすらできないので、借りることは諦めて教室へ戻しかない。
幸いにも５時間目は学活の時間。授業とは違い黒板を使用することはない。未緒はホッと胸をなで下ろした。ところが、今日は委員会活動の日で図書室へ行かなければならない。途中、所々確認しながら、何とか図書室にたどり着くことができた。
「あ の 〜 す み ま せ ん。 こ の 植 物 全 集 を 借 り た い の で す が よ ろ し い で し ょ う か ？」
「あ、ハイ。クラスと名前をお願いします。」
「あ、申 し 訳 あ り ま せ ん。 ２ 年 Ｆ 組 古 式 ゆ か り と も う し ま す。」
「えっとぉ、２−Ｆ、古式、古式…（あぁ、眼鏡がないとカード一つ探すのも大変だわ…）あったあった。」
（あっ！本の名前と、番号、返却日をカードに書かねばならないのか…）
眼鏡があればどうと言うことのない作業であるが、眼鏡がないといつもより処理が倍以上の時間近くかかってしまう。おまけに今日は本を借りる人が多く未緒の受付には、ちょっとした列ができていた。
「あらあら、どうしたの？今日は、やけに繁盛しているわねぇ」
受付の未緒の状況を知らない図書担当の教諭は、少しのんきな口調で図書室に入ってきた。ところが、受付で四苦八苦している未緒を見つけると、さすがにただ事ではないのに気づいたらしい。
「如月さん、どうしたの？これは一体…」
「あ、二階堂先生、実は眼鏡を壊してしまって…。少し手間取っているんです」
「解ったわ、私も手伝うから…。さ、順番を待っている人、こっちの受付にも 並んでいいわよ」
「スミマセン…お手数かけてしまって」
二階堂先生の協力もあり、未緒は何とか貸し出し業務を終えることができた。一息ついたところで二階堂先生が尋ねた。
「ねぇ、如月さん。あなた、コンタクトレンズかスペアの眼鏡はないの？」
「コンタクトレンズは、どうも苦手で…。あの目に入れる瞬間が、どうしても怖くて…。スペアの眼鏡は家に忘れてしまって…」
「そう、それじゃ今日はその眼鏡を修理に出すのね。ちょっと早いけれど今日は、店じまいにしましょ」
「えぇ？そんな…私の不注意ですから、そこまでして頂かなくても…」
「実は、私もコンタクトは苦手なの(笑)。だから眼鏡愛好家なのネ。そういう時って非常に不便なのよね。まして陽が落ちてしまえば大変だもの。だから…」
「…ありがとうございます。」
二階堂先生は、この春きらめき高校に着任した新米教師である。根っから明るい性格で、物わかりはよいのだけれど、決して甘くはないので、生徒からの評判はとても良い。確かに二階堂先生の言うとおりなので、未緒は素直に従うことにした。
「それでは、これで失礼します。今日はありがとうございました。」
「ハイ、お疲れさま。気を付けてね(^^)/~」
未緒は一礼すると、図書室を後にし、行きつけの眼鏡屋に向かう。
未緒の行きつけの眼鏡屋は、帰宅方面にある。バスに揺られながら未緒は、先ほどの会話のことを思い出していた。それは、図書室から玄関に向かう間に出会ったある男の子とのやりとりである。
「きゃっ！」
「おっと！ゴメンよ…って、あれ？如月さん？」
「その声は…早乙女…君？」
「そうだけれど、眼鏡どうしたの？眼鏡がないから最初、如月さんだと気が付かなかったよ。」
「昼休みに人とぶつかってしまって、落として壊れたの。」
未緒は壊れた眼鏡を差し出した。早乙女という人物は未緒のクラスメートであり、名前を好雄という。
「あ…こりゃひどいや。ところで…ふ〜ん、眼鏡を外した如月さんの顔って、こんな顔だったんだ。…………オレは、どっちかって言うと眼鏡…」
「え…？それどういうこと？」
思いがけない好雄の言葉に、つい、未緒は質問したのだが、言葉を遮る形になってしまった。
「あ、いや、変な意味に取ったらゴメン。俺の好みの問題だから…。不便そうだから、一緒に帰ろうよ…って言いたいところだけれど、呼び出し喰らってね。さすがに、この呼び出しフケるのは、まずいから(苦笑)。また今度機会があったら、誘うわ。それじゃ、気を付けて…。」
「ありがとう、早乙女君。さようなら」
（やっぱり、男の子って眼鏡をかけていない方が好きなのかなぁ…。でも…）
『次は、○○駅前、○○駅前、お降りの方は…』
そんなことを思っていると、降りるバス停のアナウンスがあったので、未緒はブザーを押し、胸ポケットから定期を出して降車口へと向かった。そして、バスを降りてからは時々立ち止まって確認をしながらも、未緒は眼鏡屋に辿り着く付くことができた。
「スミマセン、あの…眼鏡を修理して欲しいのですが…」
「いらっしゃいませ。おや、如月さん、今日はどうなされたのですか？」
「眼鏡を落として割ってしまったので、レンズを作って欲しいのですが…」
未緒は、店員にレンズの抜けたフレームを渡した。それを受け取った店員はしばしの間、いろいろな角度からフレームを眺めた後、未緒に尋ねた。
「レンズの種類と処方箋は同じでよろしいのですか？それでしたら、乱視は無く近視だけですのでレンズは２，３日もすればできますが、フレームが曲がっていますので、修理を含めて４，５日は頂くことになるかと思います。いかがなさいますか？」
正直言うと、家にあるスペアの眼鏡はかけたくない。なぜならば、今の視力に対してあわないのもあるが、デザイン的にもあまり好きではないのである。未緒が困っていると、店員はある提案をした。
「お困りのようですね。では、コンタクトレンズはいかがですか？これでしたら処方箋のレンズの在庫がありますので、すぐにお渡しできますが…」
実は、この眼鏡屋が「行きつけ」になる前に、一度だけコンタクトレンズを使ったことがある。何とか装着は出来たものの、外すときに手間取り、取れる瞬間に瞬きをしたことで一騒動をやらかし、それ以来、コンタクトレンズ装着と聞くと身震いがしてしまうのである。
さらに困り果てている未緒を見た店員は、ふと何かを思いだしたのか店の奥に行き、一つの眼鏡を差し出した。
「多少お値段はかかりますが、この眼鏡はどうでしょうか？「ツーポイント」と申しまして、レンズに直接つるが付いているタイプで、いわゆる「縁無し眼鏡」でございます。幸いにもプラスチックレンズでしたら処方箋の在庫がありますので、少々お時間をいただければ、お渡しできますが…」
まさに救いの声である。それまで曇り気味の表情であったが、この一声で、表情が明るくなった。
「それでお願いします。あ…ところでお値段はいくらなのでしょうか？」
「今在庫のある非球面レンズで…４万５千円ほどになります。」
「え！４万５千円…。どうしよう今手持ちが１万円ほどしかないのですが…」
４万５千円など、社会人でもためらう金額なのに、バイトもしていない一介の高校生が気軽に払える金額ではない。今の眼鏡でさえ値段の安さからプラスチックレンズではなく、ガラスレンズにしているのである。
店員はニコリと笑いながら、
「それでしたら、次回ご来店の時で構いませんので…。それでは、ただ今から加工にかかります。少々時間がかかりますので、どうぞお掛けになってお待ちください。」
そう告げると店の奥に行ってしまった。
「ありがとうございます。なるべく早く支払いに来ますので…」
未緒は礼を言うと、椅子には掛けずにフレームがおいてあるコーナーへ足を向けた。それは眼鏡の着替えを楽しむためである。いろいろなフレームをかけ、鏡に向かって表情作る。いつもの自分とは違う顔を見られるのが何とも楽しいのである。時には、町を歩く人と目が合ってしまい思いっきり恥ずかしい思いをするのだが、それでもやめられないのである。
「お待たせしました」
いきなり声を掛けられたので、あわてて展示品のフレームを外し、声のする方へ振り向くと先ほどの店員が眼鏡を持って立っていた。そして未緒が振り向くと、出来たばかりの眼鏡を静かにかけてあげた。
「うわぁ、当たり前だけれどフレームの煩わしさがない。そして軽いしレンズ面積が広いのに周辺部のゆがみが少ない。」
今まで掛けていた眼鏡との違いに思わず声を上げた。
「喜んでいただいて何よりです。何か不具合がありましたらいつでもお申し付けください。それと修理の件ですが、終わりましたら、こちらから連絡を差し上げますので。またのお越しをお待ちしております。」
「今日はありがとうございました。代金は近日中に支払いに参りますので…。それでは、失礼します。」
店を出て周囲を見回してみたあと、ウィンドゥに映った自分の顔を見てみる。先ほどの不便さから解消されたというのもあるが、今までの自分とは違う顔に思わず笑みが出そうになるのをこらえながら…
（ウン。やっぱり、眼鏡の方がいいなぁ…）
未緒はそう思うと、鞄を両手で抱きしめ、微笑み顔で、駆け出しながら駅へと向かった。