春…それは新たな始まりの季節。比較的成績が優秀なえみるはもちろん、常に試験で再考査、再々考査の常連組の明日香も、どうにかこうにか進級のめどが立ち、二人そろって三年生になることが出来た。
そんな二人が、たまには息抜きをしようと萬屋活動をオフにしたゴールデンウィークのとある休日のこと…。
「うわぁ…ニュースでも大きいと思ったけど、実際見るともっと大きいりゅん。」
えみるは、この３月、中区ポートサイドに新しくできた、アミューズメント施設などを揃えた複合商業施設「ＭＹＣＯＬ三島」に来ている。「ＭＹＣＯＬ三島」は、建物の長さがおよそ６００ｍ、広さは東京ドーム２６個分というから、えみるが驚くのも無理はない。
えみるが「ＭＹＣＯＬ三島」に来た理由は、チェック魔の明日香と付き合っている影響もあるのだが、来月の明日香の誕生日プレゼント探しである。
館内探索も兼ねて歩き回っていると、ふと、見慣れた人物の姿が目に入った。
相棒の明日香である。明日香は、ファンシーグッズを売っている店のショーウィンドウの前でしゃがみ込んで、熱心に中をのぞき込んでいた。
「やっぱり明日香ちゃんも来ていたんだ。あっすか…」
えみるが声をかけようとしたが、明日香が深いため息を付いて項垂れてしまったので、つい、声をかけるタイミングを逸してしまった。
「はぁ…、やっぱり高いなぁ…」
そう一言つぶやくと、明日香はその場を去ってゆく。
明日香が去っていった後、えみるはあえて明日香の後は追わず、ショーウィンドウの中を見た。
「明日香ちゃん、何を見ていたんだろう…。あっ、オレンジハウスの時計だ。そっか…、明日香ちゃん、この時計凄く欲しがっていたっけ…。」
オレンジハウスというのは、ファンシーグッズを売っている有名ブランド商品であり、先日、パステルカラーを基調とした、ボディがチタン製、バンドも高級皮を使用した時計が１０００個限定で売られたのだが即日完売と言う状況だった。
しかし、あまりの再販リクエストの多さに、ボディをステンレス製に、バンドは合成皮へと変更され再販された次第である。そのショーウィンドウに売られている時計は、その再販品である。
えみるは、明日香から「この時計をして、可愛い制服の店でバイトが出来たらどんなに嬉しいことか…」とさんざん聞かされていたので、この時計の事を憶えていた。
「誕生日プレゼント、これを上げれば喜ぶだろうなぁ…」
と、値段を見たとき…
「う゛っ…、３万円…。」
の言葉と共にしゃがみ込んでしまう。
「はぁ…、明日香ちゃんがさっき浮かない顔をしていたのかが判ったりゅん…。えみりゅんのお小遣いでは全然足りないりゅん…」
結局、他にめぼしい物も見つからなかったので、えみるも明日香と同様、肩を落としながらＭＹＣＯＬ三島を後にせざるを得なかった。そして、次なるショッピングセンター、ショッピングモールへと向かう。
が、その途中にある煙草屋の前にさしかかると、店の前で洗車をしている煙草屋の主人の姿が目に入った。
「おじさん、こんにちは。」
「やぁ、こんにちは。今日は買い物？」
「うん、明日香ちゃんの誕生日が来月なんで、その下見に。」
「何か良い物見つかった？」
「うん………あるにはあったんだけど…」
そこまで言うと、えみるは黙ってうつむいてしまった。
「高い物なの？」
こくり。
えみるは黙って頷く。
「貯金は？」
ふるふる。
同じく、だまって首を横に振る。
「じゃぁ、アルバイトするの？」
「えみりゅん、アルバイトしたことないし、学校の校則がアルバイトにもの凄く厳しいからアルバイトは出来ないと思う。」
「ふ〜ん、結構厳しいんだね…萌黄女子って。」
こくり。
えみるは黙って頷く。
「まぁ、そう言う事情ならば、万が一の時に言い訳に協力してくれる店を知らない訳じゃないけど、どうする？聞いてみる？」
「えっ？う…うん、一応。」
「おっ…丁度良いところに…」
その言葉でえみるが後ろを振り向くと、ポニーテールを右サイドで結んでいるメイド調のロムレットの制服を着ている儚げな雰囲気の女の子が立っていた。
彼女の名前は、伊藤乃絵美。えみるは何回かロムレットに行ったことがあるし、コーヒーのデリバリの時には煙草屋の主人の替わりに対応していることもあるので、乃絵美とえみるはお互い面識がある。
「こんにちは、永倉さん、南場さん。コーヒーのデリバリに参りました。」
「乃絵美ちゃん、こんにちは。」
「乃絵美ちゃん、いつもどうも。ところで、今、マスターいるかな？」
「ええ、何か新しいメニューを考えているようですけど…」
「どうも。」
そう言うと、煙草屋の主人は赤電話に向かい電話をかける。
「マスター？南場です、毎度。あのさぁ、萌黄女子校在中のかわいいウェイトレス一名欲しくない？
ほら、ウチの綺麗所が親友の誕生日プレゼントを買いたいって言うんだけど、え？綺麗所のどっちかって？そうそう、占い担当のほう。まぁ、一つ面倒見てやってくれないかなぁ…彼女だと、乃絵美ちゃんともまんざら知らない中じゃないから上手くやれると思うし…」
「あ…あの、バイト先って、ロムレット？」
「うん？そうだよ。それがなにか？」
「あ…あの、その…」
えみるは紹介先がロムレットと言うことで非常に困惑していた。なぜならば、以前から明日香に「ロムレットのバイト募集があったら真っ先に教えてよね。」と言われていたからだ。
「ロムレットじゃ不満？」
「い…いや、そうじゃなくて…」
「うん？あぁ、電話中にゴメン。うん、分かった。今週の土曜ね。無理言って済まないね。本人も急な話で迷っているみたいだし、あとは本人の口から話させるわ。それじゃ…」
煙草屋の主人は、受話器を置くと、えみるのほうに視線を向けて話しかける。
「とりあえずは、ＯＫ、店員に空きがあるってさ。他の場所を探して、そちらでアルバイトをするも良し、このままロムレットでアルバイトをするも良し。えみるちゃんの自由だよ。ロムレットなら今週土曜の１２時に。他を選ぶならば断りの電話を入れてね。大丈夫、断ったからと言って気を悪くしたりしない人だから。」
「永倉さんなら、大丈夫ですよ。」
「う…うん、おじさん、乃絵美ちゃん、ありがと。帰ってゆっくり考えるね。」
えみるはショッピングモールへは行かず、帰路へと付いた。
その夜、ベッドに横になりながら、明日香の誕生日プレゼントのためにロムレットでのバイトを取るか、以前からロムレットでのアルバイトを狙っていた明日香への義理立てを取るかで迷っていた。
「あぁ〜ん、困ったよぉ〜。あちらを立てればこちらがたたず。バイトはしたいが明日香ちゃんへの義理を取れば時計が買えず…。ふみゅ〜ん…」
ベッドの上で転がりながら考えるが、明日香がどれだけオレンジハウスの時計を欲しがっているかも知っているので、なかなか決心が付けられない。結局、決心が付けられないまま約束の土曜日を向かえてしまう。
そしてえみるはロムレットの前に立っていた。
（明日香ちゃん、ゴメン。これも誕生日プレゼントのためだから…）
少しの間考え込んでいたが、意を決して店の中にはいる。
カランコロン…
「いらっしゃいませ。」
店の中にはいると、えみると同じ年齢くらいの男の子が声をかけてきた。
「こんにちは。あ、あの私、永倉と申しますが、マスターいらっしゃいますでしょうか？」
「あぁ、新しいバイトの方ですね。こちらへどうぞ。」
えみるは男の子につれられ、店長室に通される。
「おやじ…じゃなかった、マスター。新しいバイトの子が来ました。」
「ありがとう。それじゃ店のほう頼む」
「はいよ。」
えみるを連れてきた男の子が店内に戻り、店長室には二人だけとなる。
「初めまして。ロムレットのマスター、伊藤 浩之です。」
「永倉えみると申します。」
「さて…と。話は大体聞いていたけど、バイトの経験は？」
「ありません、初めてです。」
「でも、接客は初めてじゃないよね(笑)」
「はい。」
「ふ〜む…。それじゃ早速今日から一ヶ月お願いしようかな？あっ、そうだ。万が一の時のために「時給幾ら…」じゃなくて、期間を終えたら謝礼…と言う形を取るから。その方が言い訳付くからね。」
「有り難う御座います。」
「仕事の内容については、フロアにいる正樹か、乃絵美にでも聞きなさい。それじゃ、一ヶ月よろしくお願いします。」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。」
二人がちょうど話を終えたとき、乃絵美が帰ってきた。
「ただいま。あっ…永倉さん。こんにちは。」
「乃絵美ちゃん、こんにちは。一ヶ月よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
「乃絵美、永倉さんに制服を渡して、仕事を教えて上げなさい。」
「分かりました。永倉さん、一緒に来て下さい。」
えみるは乃絵美に連れられ制服に着替えると、一通りのレクチャーを受ける。
こうして、えみるのロムレットでのアルバイトが始まった。
【第35話終わり】