いつも通り平穏に時が流れていゆく横浜市中区。

　学校が終わり、いつものように煙草屋に到着するえみる。もちろん、煙草屋に到着してからすることは、萬屋の準備である。えみるはいつも通り、売場の窓を叩いて中にいる人物に声をかける。

「ト〜ントン。おじさぁん、こんにちはぁ。えみりゅんだよぉ。準備させて欲しいりゅん。」
「ほぉ〜い。勝手に入って良いからねぇ…」

　煙草屋の主人の確認を終えてから玄関のドアを開け、まず椅子二つとテーブルクロスを店の外に出す。そしてテーブルを取りに向かおうとしたとき、えみるの視界に見慣れた人物が写った。
　相棒の明日香である。いつもなら走ってくるのであるが、今日はゆっくり歩いていた。走ってくる理由はただ一つである。遅刻気味だからだ。

「やっほー、えみりゅん。」
「あ、明日香ちゃん、こんにちは。今日は間に合ったね。」
「ひっどーい。それじゃいつも遅刻してるみたいじゃない…」
「違うのぉ？」
「う…」

『あはははは…』

　明日香が言葉を詰まらせた後、少しの間をおいて笑い出す二人。いつもと変わぬのどかな風景だが…

　ドサッ…

　二人の横を通り過ぎる人がいきなり倒れた。その人をよく見ると胸に小さな穴が開いている。二人が周りを見回しているとき、明日香は遠くのビルの屋上に何か光っているのを見つけた。
　明日香はそれを見て何かに気づいたらしく、突然険しい顔をして

「はっ！えみりゅん、危ない！」

　の言葉ののち、えみるを思いっきり突き飛ばした。無防備状態だったえみるはモロに突き飛ばされ、電柱にぶつかる。

「痛たたた…。明日香ちゃん、何するりゅ…」

　えみるが明日香に抗議しょうと視線を向けると、明日香はうつぶせに倒れていた。えみるは明日香の元へ駆け寄り体を起こす。

「明日香ちゃん？どうしたの？ねぇ…ねぇ！」

　だが、明日香からの反応はない。それから間もなく、手のひらにぬるっとした感触を感じた。えみるがおそるおそる自分の手を見ると、赤い液体がべっとりと付いている。そう…「血」である。明日香の腹部から出血しているのである。

「明日香ちゃん！明日香ちゃん！明日香ちゃん！明日香ちゃん！しっかりして！」
「う…うぅ…」

　血を見て気が動転気味になったのか、明日香の名を叫び続けるえみる。
　幸いにも意識はあるらしく、明日香は苦痛の吐息を漏していた。

「えみるちゃん、どうした！？」
「あのね…」

　えみるのただならぬ叫びを聞きつけ、あわてて店の外へ出る煙草屋の主人。
　えみるが状況を説明しようとしたときである。

ドサッ

　またしても、二人の目の前で人が倒れた。倒れた人をよく見ると、今度は額に小さな穴が空いている。だが、その状況を確認している間にも、また一人、次は買い物帰りの親子と思われる子供が倒れた。

　そして、微かだけど聞こえた「ターン」と言う乾いた音。
　その瞬間…

「えみるちゃん、こっちに来るんだ！」
「うわぁぁぁっ」

　えみるは思いっきり腕を引っ張られバランスを崩す。

「ど、どうしたの？」
「狙撃テロだ…」
「えっ？」

　えみるが驚くのも無理はない。普通、テロというと、ニュースの中の出来事、外国で起きている出来事…と言う風に他人事のように捉えているからだ。そしてしばしの間放心状態だったが、うたれた子供の親の叫びで現実に戻される。

「弘幸！ひろゆ…うっ…」
　えみるが振り向くと、子供に重なるようにして倒れる母親の姿があった。倒れている母親の背中には、先ほどの人物と同じく銃で撃たれた後が…。

「いや…いや…、そんなのいや…明日香ちゃん！」
「危ない！」

　えみるは明日香の元に駆け寄ろうとするが、腕をつかまれて動くことが出来ない。えみるは泣きながら訴える。

「離して！明日香ちゃんが…、明日香ちゃんが…。……グスッ、明日香ちゃん、まだ息があるの…。今なら、まだ…間に合うと思う。お願い…明日香ちゃんを…明日香ちゃんを…。」
「解った。僕が連れてくるから、ここにいるんだよ。」

　こくり。えみるはうなずく。

　とは言うものの、銃声が遅れて聞こえると言うことは、長距離からの狙撃なので迂闊には動けない。煙草屋の主人はある一定の方角に用心深く注意を払い、どうにか明日香を安全な物陰に連れてくることが出来た。

　そして明日香の状態を確認すると…

「えみるちゃん、ちょっと付いていてね。警察と救急車をよんでくるから…」

　と店の中に入ってゆく。

「明日香ちゃん！明日香ちゃん！ねぇ…ねぇ…！」

　えみるは明日香の身体を抱き上げ再び呼びかける。
　その呼びかけが聞こえたのか、明日香はうっすらと目を開けえみるの方を見た。

「あ…、えみりゅん…。無事そうでよかった…」
「よくない！全然良くない！だって、明日香ちゃんが…明日香ちゃんが…」
「あ…あはは。さっき人が倒れたのと、向こうのビルの屋上でキラッと光ったのが見えたのが、昨日刑事ドラマで見た狙撃シーンと同じだったんで、まさかとは思ったんだけど…。
　ホントは刑事ドラマ見たく格好良く庇うつもりだったんだけどね、間に合わないと思ったから…突き飛ばしたんだ…ゴメンね…痛かったでしょ？」
「ううん…。今救急車が来るからね。もう喋らなくて良いから…。無理しないで…」

　ピーポーピーポー

　救急車のサイレンと同時にパトカーのサイレンも聞こえてくる。

「明日香ちゃん、もうすぐだからね。もうちょっとだからね。がんばって…」
「うん…」

　キキーッ、ガッシャーン

　なにやらぶつかった音がするので振り向いてみると、救急車とパトカーがタイヤを打ち抜かれて横転していた。

「な…なんで？どうして？血がいっぱい出てきているからこのままじゃ明日香ちゃんが死んじゃうよ…。ねぇ…だれか助けてよぉ…」
「私…やっぱりこのまま死んじゃうのかな？実はね…喋っているのが…もう…辛くなって…」
「い…嫌ぁっ！。そんなのイヤぁ！明日香ちゃんはやっと出来た親友と思える人なのに…。えみりゅんの大切な人のに…。もうこれ以上、えみりゅんを独りぼっちにさせないで…。お願い…お願いだから…」

　明日香を抱きながら泣き崩れるえみるの頬に手を添えて明日香はつぶやく。

「私の事を大切な親友って言ってくれてありがとう。アタシも…アタシもえみるといつまでも一緒にいたい、別れたくない…独りぼっちになりたくない、死にたくない…。
　でも、でもね…、もう…ダメ…みたい…。フフ、なんか雅之君が息を引き取ったときの状況に似ているな…。今度は立場が逆だけど…」

「イヤ！…イヤ！イヤ！イヤ！明日香ちゃん、死んじゃイヤだぁ…」
「えみる…」
「なに？」
「最後に一言…」
「………」
「今までありがとう…。えみるはね…私の…初めての大切な…親友…だよ…」

　そこまで言うと、意識を失い、力無く項垂れる明日香。

「嘘…ねぇ！嘘…でしょ？イヤ…いやぁぁ！お願い！目を開けて！お願いだからぁ…。お願いだから、えみりゅんを独りにしないでぇ…、もう独りぼっちには耐えられないよぉ…。ダーリンの時みたいなお別れは出来ないよぉ…。お願いだから目を開けてよぉ…いつもみたいに笑ってよぉ…ねぇ…ねぇ！！！！」
「えみるちゃん、どいて。」

　明日香の身体を揺さぶりながら呼びかけつづけるえみるだが、明日香からの反応はない。
　えみるの叫びを聞きつけて店の外に出てきた煙草屋の主人は、明日香の様態を調べ終えると、急いで店の中に戻り、車庫から車を出して来たのち、明日香を抱え上げながらえみるに呼びかける。

「えみるちゃん、車に乗って！………えみるちゃん？」

　だがえみるは一向に車に乗ろうとしない。それどころか、狙撃者がいると思われる方向をキッと睨んでいる。その横を到着したばかりのテロ対策部隊が通り過ぎてゆく。
　しかし、狙撃者がテロ対策部隊よりも上手なのか、えみる達の目の前で次々と凶弾に倒れてゆくテロ対策部隊。そして、倒れた際に隊員の手から落ちた無線機より流れてくる狙撃犯射殺命令。

「ねぇ、おじさん…。狙撃犯ってどこにいるのかな？」
「この通りをねらえるビルは、あそこにある 丸正ビル の屋上しかないよ。」
「やっぱり…。んのやろー！！」
「あっ、えみるちゃん！」

　えみるはいきなり狙撃犯の方角に向かって走り始めた。

【第33話終わり】