予期せぬことで作業の手が止まりもしたが、どうにか掃除も終わり、皆居間に移動していた。

「仕方ない。ロムレットに電話を入れるか…。あ、折角だからケーキでも取るか。食べる？」
『ワーイ。』

　煙草屋の主人の言葉で喜ぶえみると明日香。

「あ、おじさんトイレ貸して欲しいりゅん。ちゃんと返すから〜。」

　と言うや否やえみるはトイレに向かう。その途中、寝室らしい畳部屋が目に入る。

（いつ来ても思うんだけど、あの遺影、なんで逆向きにかけてあるんだろう？）

　用を足し終わりトイレから出ると、デリバリの声が聞こえた。

「わ〜い、ケーキだりゅ〜ん。」

　と、えみるが廊下を駆けだしたときのことである。

　ゴトッ

　何かが落ちた音がした。えみるが音の方向を見ると、いつもは壁に掛かっている遺影が床に落ちている。

「ありゃ、え〜と。あ、あそこに丁度丸椅子があるからかけてあげようっと。」

　と、落ちている遺影を拾い上げたとき、えみるの目に衝撃的な映像が飛び込んできた。

　きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ！

　えみるの悲鳴が居間に響いた。三人はダッシュで声のする方…寝室へ向かう。一番最初にたどり着いたのは明日香である。明日香は部屋の隅でしゃがみ込んでいるえみるを見つけると、側に駆け寄った。

「えみりゅん、どうしたの？なにかあったの？」

　だが、えみるからの反応はない。

「ちょっと、一体どうしたの！？」
「あ、明日香ちゃん。あ、あれ…、なんで…、なんで…？」

　明日香の存在に気づくと、えみるは明日香に抱きついた。そして反対側を指さし、独り言のように何かをつぶやいている。明日香がえみるの指さす方を見ると、遺影が落ちていた。

「なに？単なる遺影じゃん。」

　落ちている遺影に向かう明日香。だが、遺影の人物を見たとき明日香の言葉は失われた。

「だろ？二人ともびっくりしたよね？」

　二人に声をかけたのは煙草屋の主人である。横には美由紀も居たが、美由紀一人だけ状況が把握できていない。明日香はそんな美由紀の方に遺影を向けた。

「あ！あれ、私じゃない！？」

　そう、遺影の人物は美由紀と瓜二つの人物だった。

『どういうことなの？』
「まぁ、ケーキでも食べながら話すよ。居間へ戻ろう。」

　居間に戻ると、各人それぞれテーブルに付き、コーヒーとケーキが差し出された。

「さて、何から話したらいいのやら…」
「あの方はどなたですか？」
「だね。それから話そうか。少し長くなるけど…」

　コーヒーを一口飲み、一息ついてから話し始める。

「あの遺影は、私の妻なんだ…。名前は偶然にも美由紀。美しいに、由来の由、そして紀行の紀。」
「そんな、私と同じ字だなんて…」

「えみるちゃん達には話したことあるけど、私は以前にラリーをやっていたことがあってね。今から１７年前のことだけど。その時、夫婦二人でラリーをしていたんだ。
　だが、ポルトガルラリー最終ＳＳ（スペシャルステージ）で忘れもしない、
　いや、忘れることのできやしない事件は起こった。

　左のヘアピンをクリアしているとき、右側の土手から木が倒れてきたんだ。幸いと言うかラリーカーには室内に鉄の棒をはわせて車体の補強をしているんだけど、それのおかげで助手席はつぶれずに済んだが、折れた枝が妻の腹部に刺さってね。どうやら太い血管に刺さったらしく、結構な出血量だった。

　ペースノート作成時には、木が倒れるそぶりなんて見せていなかった。おそらく前を走っていた車がコースアウトかなんかして土手に派手にぶつかったんだろう。そのショックで根が不安定になったか可能性が高い。
　とりあえずは無線で連絡したけど、生憎ヘリが全部出払っていてね。救急車を待つしかなかったんだ。しかし、ふと思った。救急車の来る時間を待つよりゴールに救急車を待機してもらった方が時間のロスがないんじゃないか…って。

　そして、その年はワークスの契約の切れる年でもあったんだ。確かに成績は欲しい。けれども、ここは人命が優先だ。もし何らかのショックで傷が広がれば出血が更にひどくなるからね。そう判断して救急車を呼ぼうとしたとき、無線機を横取りして「救急車、ゴール待機でお願いします」と言ったんだ。美由紀がね。
　もちろんそれには抗議した。無茶だしリスクが大きすぎる。だが、美由紀は何度も何度も「私は大丈夫だから…」と走るよう促した。けど、命が掛かっていることで無理なんて出来やしない。でも、ついに私が折れることになった。

　「お願い…リタイヤしないで……。ううん…。もし最後になるなら…なるなら、なおさら私…リタイヤしたくない…。お願いだから走って！」と言う言葉に。

　そして私はギアを１速にいれ、再び走り始めた。もちろん競技をしているという意識はこれっぽちもなかった。あるのは一刻も早くゴールして病院へ連れて行くこと…それだけ。平坦なターマック（舗装路）と言うこともあり、奇跡的に傷も広がらずにゴールにたどり着く事が出来た。タイムはアクシデントがあったにもかかわらず４位。ゴール後は、オフィシャルの制止を振り切って救急車に横付け。
　救急車に同乗して病院へ向かった。けれども、病院へ向かう途中「私の我が儘聞いてくれてありがとう…」の言葉を最後にこの世を去ったんだ。死因は出血多量。結果論になるけど、あの時取った方法は、病院へ向かう最速の手段であったことには違いなかった。けれど、それでも間に合わなかった。それが何ともやるせなくてね…

　これが忘れもしない、１７年前の３月６日に起こった出来事さ…。
　遺影を逆にしていたのはね、気づいたと思うけどレーシングスーツ姿だったでしょ？美由紀って、あまり写真に写りたがらなかったんだ。特に一人では。それでもどうにか撮ることが出来たのが、あの写真だったんだ。アレはね、例の事故のスタート直前に撮った物で、アレを見るとあの時のことを思い出して辛かいから、わざとに裏返しにしていたんだ。」

　一通り話し終えたときには、美由紀はハンカチで目頭を押さえ、明日香はうつむいて唇をかみしめ、えみるに至っては涙をポロポロ流して煙草屋の主人を凝視しているという、何とも沈んだ雰囲気だった。

「３月６日…？そんな…。じゃぁ、美由紀ちゃんは…美由紀ちゃんは…」

　えみるは何か感じたことがあるのか、独り言のようにつぶやいている。

「えみりゅん、私が…なんでしょう？」
「えみるちゃんは、君が妻の生まれ変わりじゃないか？…って思っているんだよ。」
「そ、そんな…。そんなＳＦじみた話…。だとしたら…私は…。でも…私…」
「私も最初君を見たときは驚いた。けれど、同時にそんなバカな話はあり得ないとも思った。だが、君が絆創膏で手当してくれたときに、ハンドバックの中にある生徒手帳に書かれた生年月日が見えたとき、私もえみるちゃんと同じ事を考えてしまったんだ。」

「わかんないよぉ…もっと分かりやすく説明して。」

　明日香は頭をかきむしりながら質問する。

「明日香ちゃん、美由紀ちゃんの誕生日って２月１６日なんだ。で、十月十日（とつきとうか）って言葉知ってるりゅん？」

　数秒考えて明日香は答える。

「えっとぉ、確か受精してから生まれるまでの胎内にいる日数だっけ？」

　こくり。えみるは頷く。
　明日香はスケジュール帳を取り出し、カレンダーで日数を追う。

「あれ？でも２月１６日の十月十日前って４月６日だよ。」
「死んでからすぐに転生する訳じゃないんだよ…」
「じゃぁ、何？美由紀さんが亡くなってから一ヶ月ほどの間で転生の準備をして、それから美由紀ちゃんという人に転生したわけ？」

　こくり。えみるは頷く。

「そ…そんな都合のいい話…」
「だけど、そうじゃないと、美由紀ちゃんの『あなた』や『涙』の説明が付かないりゅん…」
「………でも、やっぱりただの偶然さ…。都合のいい解釈でしかないんだよ…」
『えっ…』

　煙草屋の主人はそう言ってコーヒーを飲み干すと、台所に置いてあるコーヒーサーバへ向かった。えみる達は驚きの表情で煙草屋の主人を見る。

「そ…そんな悲しいこと言わないで下さい。私、なんだか悲しくなって…きっ…ひっく…ひっく…」
「おじさん…ちょっと！そんな言い方ないんじゃないの！？折角１６年かかってやっと出会えた再会なのかもしれないのに！」

　煙草屋の主人の冷たいとも言える言葉で美由紀は泣き出してしまった。泣き崩れる美由紀の肩に手を添え猛然と抗議する明日香。しかし、依然として明日香達に背を向けたまま話しを続ける煙草屋の主人。

「「かもしれない」と言うだけで、証拠なんて何一つ無いんだよ…」
「そんな…。おじ…！」

　余りの冷たさに怒りすら覚えてきた明日香であるが、えみるの制止により言葉を止める。

「おじさん、嘘付いてるりゅん…」
「嘘なんか付いていないよ。」
「自分の気持ちに嘘付いてるりゅん！ホントは生まれ変わりかもしれないことに喜んでいるはずなのに！！それに期待してるはずなのに！！！」

　しかし相も変わらず冷たい態度をとる煙草屋の主人に対して、えみるの抗議の声も大きくなる。

「仮にそうだとしても前世は前世。それにとらわれる必要なんかない…。いや、むしろ、とらわれすぎて彼女の今の人生に支障が出ることの方がいけない。」
「だから、それが…！………美由紀ちゃん？」

　激しさを増すえみるの抗議を止めたのは、以外にも美由紀であった。

「えみるさん、もういいです。最後に一つだけ質問させて下さい。」
「なに？」
「あれから１７年経っているわけですが、美由紀さんのことをどう思っていますか？」

　すこし間をおいて答える。

「美由紀以外のナビゲーターなんて…考えられない。そして……人生と言う名のラリーのナビゲーターもね…。」
「判りました。ありがとう御座います。」

「あ、そろそろ行かなきゃ…」
「名残は惜しいけど、バイバイ、美由紀ちゃん。」
「さようなら…、色々あったけどホントに楽しかったです。あっ！いっけな〜い。大切なことを忘れていた。ハイ、これ受け取って下さい。」

　美由紀はハンドバックの中から２通の封筒をとりだし、えみると明日香に渡す。

「なに、これ？」
「お二人のモデル料です。少ないですけれど…」
「ありがとうりゅん。」
「それでは、又お会いできる日まで…」
「バイバイ」

　別れの挨拶をすると、美由紀は飛行機に搭乗した。

「モデル料って幾らなんだろ？」
「見てみよっか？」

　二人は封筒を開けてみてみる。

『さ・三万円！？』
「ってことは、二人合わせて六万円！？」
「ふにゅ？えみりゅんの方の封筒にはもう一つ小さな封筒があるりゅん。」

　えみるはもう一つの封筒を取り出す。中には五百円玉と共に手紙が入っていた。

『えみるさんを始めとした、お世話になった方々へ

　皆さんのおかげで、非常に充実した二日間となりました。
　特に、えみるさんと明日香さんのおかげで着物の発表会が成功したことは大変嬉しかったです。関係者一同お二人に感謝しています。急な出来事でしたので少ない額となりましたが、約束通りモデル代を用意させていただきました。
　あーちゃんも、マイナさんも、オフ会で初めてあったのに、とても親しく話しかけてくださって大変嬉しかったです。初のオフ会がこんなに素晴らしい物になったのも皆さんのおかげです。

　今一度感謝の言葉を述べさせて下さい。みなさん、本当にありがとう。

　そして、私の前世についての不思議な出来事もありましたが、これも今回の大切な思い出です。貴重な体験をありがとう御座いました。最初はご主人さんの冷たい態度に悲しくもなりましたが、愛する妻の生まれ変 わりかもしれないと感じたとき、嬉しく思わない人っていないと思います。
　でも、私の今の人生を考え下さった結果、あえてあのような態度に出たと思うのです。ご主人さんの今も持ち続けている美由紀さんへの想いを聞いたときは、なぜか安心した気持ちになれました。きっと美由紀さんも同じ思いだと思います。

　それでは、再びお会いできる日を楽しみにしています。

　二人はしばし悩んでいた。二人で考えた末、二万円でいつも世話になっている煙草屋の主人、マイナ、あーちゃん達の為に御馳走することにし、そして残りの四万円を今後の活動資金のために貯金すること決めた。

　えみる達が美由紀からの手紙を見ているとき、空港の屋上から美由紀の乗った飛行機を見送る人物が一人…

「さようなら、美由紀ちゃん。そして、美由紀…一時のときめきをありがとう。君と一緒にいるときに戻ったような感じだったよ。嬉しかった…。」

　その夜、五人で豪勢な宴会が開かれたのであるが…

　まぁ、その宴会がどれだけのドンチャン振りであったかは、テーブルの上に転がっている多数のビール瓶やジュースの瓶や、えみると明日香が廊下で雑魚寝、あーちゃんが椅子に大の字で座り大いびき、マイナがテーブルに伏して居眠り、煙草屋の主人が布団を敷きながら居眠り…という状況から察していただこう。

　それまで裏返しにかけられていた遺影だが、この一件以後ちゃんと正面を向いてかけられる様になった。しかし、この状況を見ている遺影の美由紀の表情は少し苦笑いをしているようにも見えた。

【第30話終わり】