「明日香、最近アンタのカレ来ないわね。」
「だーかーらー、カレじゃ…もういい…。確かに、２，３日前までは私のシフト　の時は必ず来ていたんだけどね。どしたんだろ？」

　そんなことをさとみと話していたら、翌日、一人の女性がキャロットに来た。
　そう、年齢は２０代後半から３０前半…と言った感じであろうか。

「いらっしゃいませ。ぴあきゃろっとへようこそ。何名様ですか？」
「えっと、星野明日香さんお願いできるかしら？」
「星野は私ですけれど…」
「丁度良かった。私、雅之君の主治医の織倉弥生と申します。時間あるかしら？」
「ええ、少々でしたら。煙草はお吸いになりますか？」
「いえ。」
「畏まりました。こちらへどうぞ。」

　私は織倉先生を例の席へ連れていった。主治医？雅之君どっか悪いのかな？

「メニューどうぞ。」
「そうねぇ…お腹が空いているし、晩御飯にしようかな？あらぁ、いっぱいメニューがあるのねぇ…。迷っちゃうわ。」
「それでは、マネージャーに少し外れる旨を伝えてきますので、少々お待ち頂けますか？」

　スタッフルームに向かう途中、マネージャーにあったので事情を話すと、何も言わず了解してくれた。あの厳しいマネージャーにしては珍しい。

「お待たせしました。」
「あぁ、ごめんなさい。あまりにお腹が空いていたんで先に頼んじゃった。」
「それは構いませんけど、話って何でしょう？」

「失礼します。エビドリアをおもちしました。」

「今日、昼から何も食べていた無かったから、お腹が空いちゃって。私から言い出したのに、ごめんなさいね。少し待っててくれる？。あら、美味しいわね。このドリア。」

　織倉先生の食事が終わった後、紅茶が二つ運ばれてきた。

「あの、この紅茶は？」
「話をするのに何もないのもアレだから私が頼んだの。どうぞ。」
「ありがとう御座います。で、話って何でしょう。」

　しばらく沈黙が続いたのち、織倉先生は静かに話し出した。

「話というのは他でもない。雅之君のことなの。彼ね、今ある難病にかかっていて入退院を繰り返しているのね。でも、残念ながら、今の医学では治療の決め手がないの。患者の生きようとする気力…これにかかっていると言っても過言じゃないわ。
　で、最近の彼を見ていると、快方に向かいつつあるの。外出＆外食が増えてるのになぜ快方に向かっているのか？正直言って解らなかった。最初は気分転換程度に日曜日の外出を勧めたんだけど、今では外出が「薬」とはね…。変な話ね。」

　そうか…だから日曜日に私がいないのをあんなに残念がっていたのか…。雅之君とはもう結構な回数会っているけど、あの子が病気…それも難病だなんて、とても信じられない。

「雅之君が病気…？全然そんな風に見えないですけれど…」
「パッと見にはね。でも、ひとたび発作が起こると結構危険なのよね。」
「発作ってどのくらいで起こる物なんですか？」
「医者としてとても悔しいんだけど、全然判らないの。ただ、ここ一ヶ月…つまり彼がここに通いだしてからは発作がないの。医学にこれ以上頼ることが出来ない今、貴方だけが治療の希望なの。お願い、彼の生きる支えになって上げて頂戴。」
「そ…そんな事言われても、私に出来ることと言えば、端から見ればとてもデートとは言えないようなデートをするだけですから。」
「それで十分。いや、それでお願いします。ホントは私がこんなこと言える立場じゃないんだけど。」
「分かりました。私で良ければ力になります。」
「良かった。今ね、ちょっと体調崩して外出は控えさせているの。よかったら顔だしてもらえる？彼、喜ぶと思うから。」
「分かりました。明日学校が終わってから病院に向かいます。」

　織倉先生と別れてからも、バイトが終わり家へ戻ってからも、私はずっと考え込んでいた。雅之君が、病気…それも現代医学では治るみこみのない難病。う〜ん…。
　当たり前だけど、次の日は一日中上の空だった。三時間目の現国で当てられたけど、何も反応が無くて怒られたような気がするが、なぜか他人事の様に受け流していた。

「星・野・さ・ん、今日は萬屋はお休みの日ですよね？わたくしとロムレットへ行きませんこと？」
「あ、安田先輩。すみませんが、用事がありますので失礼します…。」
「はぁ、元気のない顔をされていますが、何かあったのですか？」
「い、いや何でもない。何でもないです。」
「それならよろしいのですが…。何かありましたら気軽に相談して下さいね？それでは失礼いたします。」

　放課後、マイナさんがお茶の誘いをしてくれたけど、とてもそんな気分じゃなかった。
　気分転換に桜木町の商店街を歩いていると、ガラス窓を叩く音がした。音のする方を見ると、マイナさんが手を振っている。あれ？と言うことは…。あはは。どうやら、無意識にロムレット方面へ足を向けていたらしいのね。
　結局、上の空の原因のことをマイナさんに話してしまった。それを聞いたマイナさんは少し間をおいた後、

「辛いでしょうけれど、信じるしかありませんわね。」

　と言った。それは解っている。解ってはいるんだけど、難病と言う不安が気持ちを落ち着かせてくれない。ロムレットを出た後、つい空を見上げてしまう。
　マイナさんは、そんな私の肩に手を置いてこう言ってくれた。

「貴方も大変でしょうが、一番大変なのは雅之君本人…でしょう？彼の支えである貴方がそんなことでどうします？いつもの笑顔はどこへ行きました？」

　そうだね。一番大変なのは彼なんだし、彼の希望のアタシが落ち込んだって何も変わるわけではないんだ。むしろその逆。ありがとう、マイナさん。いつもの笑顔でマイナさんと別れ、秋月病院へ向かった。

「えっと、小児病棟は…」

　病院の案内図を見ながらではあるが、何とか小児病棟のナースセンターにたどり着くことが出来た。病室を聞こうと思ったが、重要なことを思い出した。私、雅之君の名字は知らないんだっけ。
　あっちゃ〜。あの時聞いておけば良かったかなぁ…。まぁいいや。どうにかなるでしょ。聞いてみよう。

「すいませ〜ん、雅之君の病室はどちらでしょうか？「雅」に「之」って言う字なんですけど」
「実はねぇ、雅之君って二人居て、どっちも同じ字なんだけど、どちらの？」

　げっ！お、同じ字？困ったなぁ…。あ、そうだ主治医の名前を言えばいいか。

「あの、織倉先生が主治医なんですけど…」
「うぅ…どちらも織倉先生が主治医なの…」

　おぉ〜っ！？明日香ちゃんピーンチ！さぁ、どうしよう。……と思っていたら私に声をかけてきた人物が…

「あら、星野さん雅之君のお見舞い？ちょうど回診でもあるから一緒に行く？」

　ラッキー、まさに天の助け。織倉先生の後について行くとある病室の間に立ち止まった。４人部屋らしく、入り口のプレートの中に「小此木　雅之」と言う名前を見つけた。

「先生。雅之君の名前、なんて読むんですか？」
「これ？おこのぎって読むの。珍しい名字でしょ？…！あ、そうだ。ちょっとここで待っててね。」

　なんだろ？私は聞き耳を立ててみる。

『雅之君、元気ないぞ…。えっ？きゃろっとへ行きたい？ゴメンね、もうちょっと良くならないと、外出はさせて上げられないの。もうちょっとっていつ頃って？う〜ん、じゃぁねぇ、こう言うのはどう？「入ってきて良いわよ」』

「きゃほきゃほーこんにちは、雅之君。元気してたかなぁ？」

　織倉先生の合図の元、病室へ入る。雅之君は一人だ。そう、雅之君のお母さんは、この時間はまだ仕事中である。

「それじゃ、あとはよろしくね。」

　そう言うと織倉先生は病室を後にした。織倉先生が病室を出るや否や、雅之君は私に向かって駆けてくる。しゃがんで手をさしのべると雅之君は抱きついてきた。

「お姉ちゃん……、遭いたかった…」
「うん。私もだよ、雅之君…」

　私はいつの間にか雅之君を抱きしめ、彼の頭を優しく撫でていた。

「お姉ちゃん、それ何？」

　雅之君は、鞄以外のある物に気づいた。それはロムレットで買ってきたプリンアラモードの入った箱である。私が箱を渡すと、雅之君はベッドに戻り、箱を開けた。

「うわぁ、プリンだぁ。ありがとう。」
「えっ！？どれどれ」

　他の子供達がベッドの周りに集まってきてピョンピョン跳んで箱の中身を見ている。だが、そのうちの一人はどうやら私が気になるらしい。

「なぁ、あの人誰だ？」
「ふふ〜ん、僕の大好きなお姉ちゃんだぞ。」
「なぁなぁ、こいびとってヤツか？」

　別の一人が声を上げる。すると、雅之君は顔を赤くした。フフフ…可〜愛い。

「ふ〜ん…。なんか信じられねーな。胸小さいな、ちゅーがくせい？」

　こ、このお子さまは、いきなりなんちゅうことを言うんだか…。しかも、胸が小さいだけじゃ飽きたらず、中学生だとぉ？

「やっぱ、大人の女はみどり姉ちゃん見たく胸が大きくないとな…」
「ふっ…秋山、何も解っていないね。女の人の魅力はそんなんじゃないぞ。」
「こらっ、大輔。失礼なことを言わないの。謝りなさい。ごめんなさい、大輔が失礼なことを言って。」
「いえいえ、子供の言うことですから…おほほほ。」

　雅之君、良いことを言うぞ。ウンウン、女の魅力は胸の大きさじゃないのだ。
　しかし、これがお子さまの会話かねぇ…なんか違う気がするが。だが、なろ〜、大輔め生意気な態度取りやがって…見てろよ。でも、大輔が自慢するだけあってみどりさん、どう見たってバスト９０ｃｍはあるよ…トホホ。

「雅之君…あたし達恋人だよね。」

　こくり。最初びっくりしたような顔をしたが、照れながらうなずく。

「でも、大輔君は信じていないみたいだよね。」

　こくり。

「じゃぁ、見せて上げよっか？」
「どうやって？」
「それはね、目を瞑って…」

　私は雅之君の頬に両手を添え、ゆっくりと顔を近づけ、彼の唇に私の唇をそっと重ねた。

「おぉぉ…」
「やっく…」
「でかるちゃ…」

　重ねていたのは時間にすると数秒くらいだが、なぜか一分くらいに感じた。
　私が唇を離すと、雅之君は惚けていた。当然だけど、周りのお子さま達も惚けている。まぁ、無理もないか。この頃のお子様の愛情表現と言えば、親子の間でも「ほっぺにチュ」だもんね。

「ま・さ・ゆ・き・君。ウフフ…」

　私は思いっきり甘ったるい声で雅之君に話しかけた。私に声をかけられて正気に戻った雅之君と言えば、顔を真っ赤にして枕を引き寄せ、枕を抱きしめながら顔を隠している。
　や、やだ…そんな風にされちゃ、なんかアタシまで照れちゃうじゃないの…。そう思っていたときである。

『ひゅ〜ひゅ〜、お熱いねぇ…』

　先ほどの生意気な事を抜かした大輔以外の二人から声が上がる。

「あ〜、あ〜、みどり姉ちゃん。オレにも…」
「何言ってんの。私達、従姉弟でしょ？そんなこと出来ません。」
「だって、だって…」
「アレは、あんたが悪い。」
「くっそぉ〜、覚えてろよ！」

　そう言うと大輔は病室の外へと飛び出した。くっくっく…。何を覚えておけばいいのやら。でも、ちょっと子供相手に大人げなかったかな？

「きゃっ、大輔君！あ、大輔君待ちなさい。いったい何なの？この騒ぎは…」

　どうやら病室を飛び出した大輔君と織倉先生がぶつかりそうになったらしい。
　何事か？と織倉先生が病室に入ってきた。

「おりくらせんせー、あのね、あのね、雅之君とお姉ちゃんが…」
「ん？この二人がどうしたの？」
「チュッ…したの。お父さんとお母さんがするようなやつ。」
「うん？」

　織倉先生は意味が分からないらしく、腕組みをして考えている。だが、何かに気づいたようである。そして、ニヤニヤしながら私たちを見る。

「あらぁ…。ははぁ〜ん、雅之君とお姉ちゃんってそう言う仲だったんだぁ…。ところで、お熱いところ申し訳ないんだけど、そろそろ面会時間終了なのね。今日の所はこれくらいにして、また明日にでも来てくれる？」

　織倉先生の言葉で時計を見てみると確かにそんな時間だ。もう少し一緒にいたいけど、決まりじゃしょうがないよね。寂しそうな顔をしている雅之君に向けて声をかけた。

「雅之君、また明日くるよ。ちゃんと織倉先生の言うことを聞くんだよ。それじゃバイバイ。」
「うん…。バイバイ。あ、お姉ちゃん…」
「なに？」
「この次きゃろっとに行ったら、お姉ちゃんのカレー食べたいなぁ。」

　あ、あの時話したカレーのことだね…。

「いいよ。それじゃ、早く良くなるよう頑張らないとね！それじゃ。」

　私は雅之君の病室を後にする。

「星野さん」

　一階のロビーで、私は織倉先生に呼び止められた。

「なんでしょうか？」
「今日は…有り難う。彼、ずいぶん元気になったわ。このまま良い方に向かえばまたきゃろっとへ通えると思う。ところで…」

　織倉先生は私の耳元でささやく。

「病室で男の子達が言っていた「お父さんとお母さんのチュッ」の意味が分かっちゃった。星野さんって、ああいう男のコの方が好みなの？」
「は？あ、あの、いや、あれは…」

　織倉先生ってば、なんてことを…。あっ…さっきは意識していなかったけど、あれってアタシのファーストKISSなんだよね…。でも…雅之君なら…いいかな？

「フフフ…あなたの作るカレー、私も楽しみにしてるわ。気を付けて帰ってね。それじゃ。」

　おっとと、そう言えば料理ってそんなに作ったことなかったんだっけ。言ったからにはカレーを作れるようにしておかないとね。それじゃ、料理の本を買って帰りますか。

【第26話終わり】